当然、ミラノについてすぐにシチリア便にトランジット。深夜11時にやっとシチリアはカターニャ空港に降り立つことができました。 カターニャの落書きだらけの町並みを横目にチェックイン。
次の日、オランフリーゼル社のスタッフの方がホテルまで迎えに来てくれ、イタリア初日がスタート。 オランフリーゼル社で迎えてくれた、サーラ・グラッソさんは、輸出担当のマネージャー。笑顔で出迎えてくれました。
エトナ山のふもとに会社をもつ同社は、1960年に成果を扱う企業として創業したMR.アルバ所有のファミリー企業。ブラッドオレンジジュースなどのジュースの生産を1995年に開始。
簡単にオランフリーゼル社の説明を受けた後サーラが、続けました。 「ブラッドオレンジジュースの製造は原料である、ブラッドオレンジの栽培、集荷、選別のプロセスとジュースの製造プロセスの大きく2つに大別されます。」
サラは誇らしげに続けます。 「オランフリーゼル社はイタリアでも数社しかない自社畑を所有し、オレンジ栽培のトレースアビリティまで一貫して管理しています。オランフリーゼル社のようにブラッドオレンジという成果を育てるところからジュースを製造するメーカーはシチリアでも本当に少ないんです。また、当社より、ジュースを買ってパックしているメーカーもたくさんあるんですよ」
なんと、聞けば、年間3万トンの成果として販売するオレンジ(うちブラッドオレンジは60~70%)を扱い、それとは別に1万トンもの成果をジュース用として扱うといいます。
フルーツとしてイタリアのスーパーなどの店頭に並ぶ、シチリアオレンジの大きな生産販売業者としての顔を持つ会社だったのでした。
●成果の品質
管理成果の品質管理工場といえる巨大な工場内では、徹底した品質の管理とセレクション(大きさなどでの選別)が行われています。
入荷時の糖度と酸度のチェック。規定値に達しているものだけを受け入れて、小さいものを除去。オレンジをブラシで水洗いします。その後、2度大きさを視覚で、次いでX線で選別して、高価なものとして扱われる個包装されるブラッドオレンジから、大箱で売られる、比較的手ごろなブラッドオレンジなど製造ラインが分かれて箱に収められていきます。
●ジュースの製造
ジュースは別工場で絞られています。ジュース用のオレンジが工場に運び込まれるとまず、入荷時にここでも、不良品のチェックをデータ管理しており、不良品が2%を超えると持ち込まれた成果はすべて返品(使用しない)というルールになっています。入荷したブラッドオレンジは不純物を除かれ水で洗浄されて、皮だけをむいて中身を絞るというなんとも良く考えられた搾り機でジュースにされます。そして、大きな果肉はろ過されて92度で30秒の殺菌。その後すぐにパイプ内で冷却されます。
絞りたてのジュースを飲ませていただきましたが、とてもおいしく、また、真っ赤なことが何よりうれしくたくさん飲んでしまいました。
●ターミナルで昼食
「タオルミーナという近くの町でお昼を予約したので行きましょう。」
サーラのドライブでタオルミーナまで、ドライブ。間近に迫ってくる海は、並々と満ちた海水があふれんばかりの勢いで目の前に迫っていました。日本では見たこともないような、コバルトブルーの海。市街に車を乗り入れられないので、車を置いて、町の中にあるというグランドゥーカというレストランまで歩くことに。
「このあたりは有名な超高級リゾート地なの。」とサーラ。
「映画『グランブルー』の撮影地として有名ですよね。」と私。
「え?『グランデブルー?』そうなの?ここで撮影されたの?」とサーラ。
「日本でも有名だけど?」と私。
案外、シチリアに住んでいてもそういうことは知らないもの?なんだなぁと思ってしまいました。
「この道の先に、テアトログレコといって、それはそれは美しい紀元前からの劇場があるの。 AKIKOに見せてあげたいけど、残念だわ。時間がないから。」
「へ~。そんな、劇場があるんだぁ」と私。
そんな話をしながらサーラも初めてきたというグランデゥーカで食事。 セコンドを抜いたメニューで、白ワインを楽しみながらゆったりとした昼食をとりました。
午後、畑を見に行こうということで、でこぼこ道をドライブして自社畑に分け入って行きました。お天気のいい午後。
アグローノモ(農学博士)のフランチェスコガルヴァーノさんの先導する車について畑へ向かいました。ムッソリーニが地域の産業振興のために作ったという農道、糸杉の道を抜けて、遠くに、雄大なエトナ山を眺めながら揺られること30分ほど。
黄色い下草の花が咲き乱れるブラッドオレンジの木々が、どこまでも続く畑。車を止めた道の突き当たりにちょうどお昼ご飯を食べながら休憩している人たちの姿が見えました。
ブラッドオレンジを摘み取りのために雇用された人たち。日に焼けた肌のしわは深く。広い畑を見ただけで、機械での摘み取りもあるにしても、仕事に終わりがないのではと思うほどです。
お弁当を食べたりタバコをすったりしている彼らを横目に、アグローノモのフランチェスコについて、ブラッドオレンジ畑に分け入りました。
たわわに実ったブラッドオレンジを一つ何気なくとった、フランチェスコが手で半分に割るとそれは真っ赤なブラッドオレンジで、食べてもとても赤く。われもと、自分でとってみたものの、赤いさしが入っている程度のあまり赤くないブラッドオレンジでした。
「どうして赤いのがわかるの?」と聞くと
「皮の発色の感じがちがうんだな~~」とフランチェスコ。
何度やってもなかなか真っ赤なオレンジには当たらず、おなかもいっぱいになってしまいました。
「ブラッドオレンジってこういうものだったんですね。オレンジが気候?とか土壌の関係で赤くなった。でも、全部が完全に赤という具合ではなくて、真っ赤にできるのもあれば、さしが入る程度のものもあって。でも絞ると、赤が強いからやっぱり赤くなる・・・」と私。
「もともとオレンジはレモンなどと一緒に北アフリカやアラビアからアラブ人によってもたらされたもので、最初イタリアでは観賞用として栽培されていたんだ。 のちに食用となったんだけれども、タロッコをこのエトナ山に植えたら赤くなるというので100年前くらいから、このあたりのマーケットでは出回るようになったということです。それを、さっき通った道の横に経っていた家の持ち主、バロネッサが普及に努めて現在のエトナ山のふもとでブラッドオレンジが栽培されるようになったんですね。 逆に言うと、エトナ山のふもとでしかブラッドオレンジは出来ないというわけです。」とフランチェスコ。
「赤くなるんだから不思議ですよね。気候と土壌ですか??」と私。
「IGPタロッコ(ブラッドオレンジ)を名乗れるエリアというのが決まっていて、赤いオレンジはこのエリアでしか取れません。それはやはり火山灰土の土壌成分と、この地域独特の寒暖の差の激しい気候によってもたらされるものです。今日の気温は昼22度と暖かでしたが、朝は7度とずいぶん冷え込んでいました。一方すぐ対岸のカラブリアでは朝の気温は15度なんです。これは、火山灰土の黒土が、日中吸収した熱を夜すぐ放射するために起こっているんですね。」 とフランチェスコ。
「それにしても、去年はなかなか赤くならずに、大変でした。 日本ではお客様から色々な問い合わせを頂戴しました。 うまく説明できずに四苦八苦です。」と私
「当社には、ラボトラトリーがあり、オレンジの成分分析など、関係機関に提出する書類なども作っています。ラボを持たないジュースメーカーが数多くあるので、他社の分析もしていますが、去年は少しアントシアニンの生成が少なかったですね。 こればかりはなんともしようがないです。農産物なので。」とフランチェスコ
まぶしいシチリアの日差しを浴びながら立ち話をおえて、オレンジ摘みの作業の人たちもそろそろ休憩が終わりという様子で立ち上がり始めていました。
思わず、英語で「一緒に写真に写ってくれませんか?」といったものの通じず、 やっと覚えたイタリア語を思い出し「フォトインシエーメ?」と写真のポーズ。 座って、近寄ってくれない人たちにも頼んでの写真撮影となりました。
いつも飲んでいるブラッドオレンジジュース。こういう現場の人たちの苦労の上に成り立っているんだなぁとしみじみ感じた1日となりました。
オランフリーゼル社インタビューを終えてブラッドオレンジジュース。 毎朝コップ一杯の幸せを楽しむのに、あれだけたくさんの人たちがかかわって成り立っているとは夢にも思いませんでした。
オレンジ摘みの人たちと写真をとったあと、サーラが興奮気味に、 「今の写真を是非日本の皆さんに紹介して欲しい」と言っていました。
「シチリアでもオレンジを摘んだり、農作業の仕事は低い仕事のように考えられていて、年々人手は減るばかり。 でも、本当に大事な仕事をしてくれているんだよね。彼らも、その写真を見て仕事を誇りに思ってくれるに違いないから。」
日本のインターネットの状況などを興味深そうに質問し、時間指定のお届けなどが可能になっていることを伝えるとサーラは目を大きく開き 「イタリアではありえません。荷物はお天気次第で届くものっていう感じです。2時間ごとに指定ができるなんて!!」 と感嘆されていました。
すっかく仲良しになったサーラと私。また、シチリアで会うことを約束しました。 |