2013年6月3日 カヴァルキーナ社 ルチアーノ ピオーナ氏 | ||||||||||
7年連続トレビッキエリに輝くクストーツァ「アメデーオ」の造り手カヴァルキーナ。今から23年前に輸入元の社長さんがヴェローナのレストランで初めて飲んでその美味しさに感動して輸入を始めたそうです。たまたま入ったレストランでの出会いということで運命を感じたのだそうですが、実は地元ヴェローナのどのレストランにもカヴァルキーナのワインがオンリストされていると知ったのはその後だそう。ヴェローナっ子にとって最も身近で人気のある造り手カヴァルキーナのお話を聞きました。 | ||||||||||
ビアンコ ディ クストーツァを最初に造ったのがカヴァルキーナ |
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カヴァルキーナのある場所は数百万年前に氷の中から出現しました。氷河期の氷が溶けて現れた土地には沖積層の砂利やミネラルが豊富に含まれています。次第にこの土地でブドウ栽培がさかんになり、ローマ時代にはすでに好んで飲まれていたと伝えられています。1848年のオーストリア統治時代の地図にはカヴァルキーナの畑が1級と2級の格付けで記載されています。 1911年からピオーナ家で所有しています。私の祖父は靴職人でしたが稼いだお金で趣味のワイン造りをしていました。土着品種のガルガネガの栽培もしていましたが、さらに新しいタイプのワインを造りたい、ということでフェルナンダ、トレッビアーノ トスカーノなどの新しい品種とブレンドさせました。こうしてできたワインをクストーツァと名付けました。つまり、現在のビアンコ ディ クストーツァを最初に造ったのが私の祖父なのです。 |
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国際品種が中心のプレンディーナで造ったワインがグアルディエロ マルケージの目に留まり、プライベートワインを生産 |
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1958年には市場の要望に応えるためにプレンディーナの土地を購入しました。ここはカベルネ、メルローという国際品種が多く栽培されている土地で、ピオーナ家が初めて造ったワインはカベルネとメルローのブレンドでした。試験的に造っていたカベルネとメルローをカヴァルキーナの顧客だったグアルティエロ マルケージが気に入ってくれて全部マルケージのハウスワインとしてボトリングしました。その後、研究を重ねてこのワインを進化させて造ったのが「ファルコーネ」です。 |
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次なるステージ「アマローネ」に進出!クリーンで洗練されたバランスのとれたスタイルを目指す |
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弟のフランコがヴァルポリチェッラが好きだったこともあって、カヴァルキーナとしては次はアマローネに取り組むことにしました。そこでヴァルポリチェッラに土地を購入、ワイナリー「トッレドルティ」をスタートさせます。
ヴァルポリチェッラを造るにあたり、私たちは伝統的なアプローチから離れ、クリーンで洗練されたバランスのとれたスタイルを目指しました。つまり、力強いけれども飲みやすい、全体の要素の調和を大切にしたワインです。 |
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■インタビューを終えて | ||||||||||
ルチアーノさんは大学卒業後、すぐにはワイナリーに入らず船乗りやスキーのインストラクターなどをしていたそうです。10年後実家に戻った時に、子供時代に祖父と一緒に畑にいたことを思い出し、ここが自分の居場所だと実感したそうです。それが原点となり、生まれた土地や食べ物、風の香りなど全てを自分のワインに表現したいと考えるようになります。
また、クストーツァのカヴァルキーナに始まり、ラプレンディーナ、トッレドルティと仕事の幅を広げていく中でブドウを凍らせたり、メルローでリパッソを造ったり、と新しいことに挑戦している姿勢にダイナミックさを感じました。 |
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2013年6月3日 カヴァルキーナ社 ルチアーノ ピオーナ氏 来日セミナー
2013/06/03