2016年2月5日 モンテヴェトラーノ社 シルヴィア インパラートさん
ロバートパーカーが「南のサッシカイア」と絶賛!カンパーニャのカルトワイン「モンテヴェトラーノ」 |
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「南のサッシカイア!」とロバートパーカーが大絶賛してあっという間に世界中から注目を集めることになったモンテヴェトラーノ。写真家のシルヴィア インパラートさんがワインの飲み友達を前に「アリアニコでラフィットのようなワインを造る!」と宣言したことから始まった夢のワイン造りから20数年。モンテヴェトラーノの歴史と未来についてお話を聞きました。 | ||||||||||
ワイン好きの仲間たちの前で宣言したジョークから生まれたモンテヴェトラーノ |
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モンテヴェトラーノは私の祖父母が所有していた農園です。祖父母はサレルノの町に住んでいましたが、田舎に農園を持ち、野菜やオリーブ、ブドウなどを栽培して自家用のオイルやワインを造っていました。子供の頃からその農園が大好きだったので祖父母の仕事をよく見ていました。
モンテヴェトラーノはナポリから南へ50km程の場所にある、ゆるやかな丘陵地で、標高にしてだいたい100メートルぐらいです。海からも5kmほどの距離にあります。 私はローマで写真家として仕事をしていましたが、ワイン好きの仲間たちとスペイン広場近くのお店(enoteca Roffi Isabelli)に毎週のように集まっては色々なワインを飲んでいました。1980年代の初めぐらいのことです。今日ここにいる宮嶋さんや、当時はまだ学生だったルカマローニ、アンティノリのカステッロ デッラ サーラで働いていたレンツォ コタレッラ、カステッロ ディ アマのマルコ パランティ、ガンベロロッソのダニエレ チェルニッリとか、ワイワイと集まって飲んでいたんです。 で、あるとき本当に飲み過ぎて(笑)、気が大きくなったのか「アリアニコでラフィットのようなワインを造ってみせる!」って宣言してしまったんですね。1987年のことです。最初は本当に冗談のつもりだったんですが、やり始めるとだんだん本気になっていったんです。 |
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アリアニコ、ウーヴァディトロイア、ピエディロッソ、バルベーラなどが混植されていた畑にカベルネとメルローを接ぎ木 |
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モンテヴェトラーノ農園は古代の劇場のような半円形の斜面になっています。そこにブドウ樹が植えられていたのですが、アリアニコにウーヴァディトロイア、ピエディロッソ、バルベーラなどがごちゃ混ぜになっていました。それらのブドウ樹を台木にして、1988年にカベルネソーヴィニョンを、1989年にメルローを接ぎ木して整備していきました。
ワインを造ろうと決めたのはいいですが、専門知識のある人がどうしても必要。飲み仲間のレンツォ コタレッラはアンティノリの社員でしたから頼めない。そこで思いついたのがレンツォの兄のリッカルドです。リッカルドは当時はウンブリアの協同組合のコンサルタント程度の仕事しかしていなかったのでちょうどいいじゃないかということになったんです。 |
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1991年が初リリース。1993年ヴィンテージが「南のサッシカイア」と絶賛されて環境が一変!エノロゴのリッカルドコタレッラを一躍有名に! |
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モンテヴェトラーノの初ヴィンテージは1991です。その時のセパージュはアリアニコ10%、カベルネソーヴィニョン90%でした。本数はバリック2樽分ぐらいで約700本でした。1991と1992は友人たちに飲んでもらって終わりましたが、1993年ができたときにこの3ヴィンテージ分を初めてロバートパーカーに送ったんです。すると・・・
「南のサッシカイア!」 と評価されて私の生活は一変しました。とにかく「モンテヴェトラーノを飲みたい」という電話が鳴りやまなかったんです。みんながみんな、モンテヴェトラーノを欲しがりました。でもワインは2000本弱しかありません。モンテヴェトラーノは「神話的」なワインになっていました。それまで無名だったリッカルドもあっという間に有名人になってしまいました(笑)。 |
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最初に名声を手に入れたモンテヴェトラーノ。それからの年月はそれを維持するための努力の日々 |
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モンテヴェトラーノは造ってすぐに名声を手に入れました。もちろん、素晴らしいワインを造りたいと始めたので嬉しかったのですが、冗談みたいなところから始まったワイン造りだったので、なんとなく趣味的な位置づけだったのです。でも、もはやそんなことは言ってられません。その名声を維持するため、高い品質を保ち続けるための努力を重ねていく。これが私に課せられました。
だからものすごく仕事をしました。1991年にリリースして20年間、モンテヴェトラーノは「モンテヴェトラーノ」1本だけを造ってきました。毎年、毎年、造ったワインは手元に残しておいて、変化を確認するようにしています。1991年もだいぶ減ってしまいましたがあと27本だけ残っています。 1991年から25年になりますが、その間に気候は変化しています。それでも変わらない品質を保ち続けられるように細心の注意を払ってワインを造っています。収穫はメルローが9月20日頃、カベルネソーヴィニョンが9月末頃、そしてアリアニコが10月中旬です。メルローは早熟の品種ですが、9月20日はイタリアの中では遅い方です。カステッロ ディ アマのラッパリータのメルローよりも遅いんです。ただ、温暖化の影響もあってメルローの暑さが出るようになってきて、1997年以降はメルローの比率を減らしています。
ロバートパーカーが「オルネッライア」ではなく「サッシカイア」を引き合いに出したのは興味深い。サッシカイアはボルゲリの最北に位置し、タンニンにも冷たさを感じるボルドー的なワイン。一方オルネッライアはやや南なので温暖な気候の味わいとなる。モンテヴェトラーノはイタリアの中でも収穫が遅いことからわかるように涼しい土地のブドウから造られる。だからタンニンにも涼しさが感じられる。 |
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誕生から20年を記念して、アリアニコ100%で新しいワイン「コーレ」をリリース |
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2011年、モンテヴェトラーノが誕生して20周年を迎えたときにその記念として新しいワイン「コーレ」を造りました。コーレは、ベネヴェントのエリアのアリアニコを主体に造っています。ベネヴェントはモンテヴェトラーノのあるチプリアーノピチェンティーノに比べると標高の高い丘陵地にあり、涼しくて厳しい気候です。
コーレは20年記念として1回だけ造るつもりだったのですが、予想以上に反響が高く、経営的なメリットもあるのでそれ以降も造っています。 |
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■インタビューを終えて | ||||||||||
シルヴィアさんと旧知の間柄と言うジャーナリストの宮嶋さんの通訳兼解説付きで、モンテヴェトラーノに関する様々なエピソードをたくさん聞くことができました。
ワイン造りに関しては本当に素人だったシルヴィアさんが造ってすぐに世界中に知れ渡るワインを造ることができたのはモンテヴェトラーノの土地のポテンシャルの高さはもちろんですが、「いいワインを造る!」という底知れぬ情熱とこだわりがあったからなのだと思います。 25年間変わらぬ品質の高さを保ち、常に最高の評価を受け続けているモンテヴェトラーノ。「最初に名声を手に入れて、それを維持するための努力をし続けた」。言葉だけでなく実行し続けてきたシルヴィアさんのワイン。疑いなくイタリアを代表するワインです。 |
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2016年2月5日 モンテヴェトラーノ社 シルヴィア インパラートさん突撃インタビュー
2016/02/09