2015年7月29日 アレッサンドロ デ ステファニ氏、キアラさんご夫妻
モーツァルトが愛した「マルツェミーノ」の第一人者でプロセッコ、陰干し、スティルワインの全てで高評価!ヘミングウェイもゆかりの歴史的造り手 「デ ステファニ」突撃インタビュー |
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プロセッコの銘醸地として知られるヴェネト州のコネリアーノとヴァルドッビアーデネの間に位置するレフロントロという村で4世代前からワイン造りをしているデ ステファニ。ワイン産地としての長い歴史を誇るヴェネト州の素晴らしい伝統を受け継ぎ、プロセッコ、アッパッシメント、スティルワイン、それぞれにおいて高いレベルでのワイン造りを行って世界的に高い評価を受けています。そのこだわりのワイン造りについて4代目オーナーでありエノロゴのアレッサンドロ氏にお話を聞きました。 | ||||||||||
曽祖父の代から「デ ステファニ」の名前でワイン造りを続ける家族 |
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デ ステファニは19世紀後半に私の曽祖父のヴァレリアーノが始めました。その当時から「デ ステファニ」という名前でワインを造っていました。ヴァレリアーノは、土壌を見る力が優れていて、森だらけの土地の中からどこにブドウを植えればいいかを見極め、畑にしていきました。次に私の祖父母が受け継いだのですが、デ ステファニの歴史の中でも最も大きな役割を果たしました。ワインをよりアーティスティックなスタイルへと変化させたのです。そして祖母のアンジェリーナは、デ ステファニ家にとって大切な家訓の礎を造りました。
それから私の父の代になります。彼はコネリアーノ醸造学校を卒業しましたが、さらに土地を購入して畑を広げると同時にワイナリーの組織作りをしました。ワイナリーをレフロントロからピアーヴェ川沿いに移転しました。私も父同様、コネリアーノ醸造学校を1992年に卒業したのですが、在学中からワイン造りに参加しています。そのあとヴェネツィア大学で経済を勉強しました。妻のキアラとはそこで出会いました。 |
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ピアーヴェは、ポムロールにも似た上質なブドウが生まれる条件を備えた土地 |
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父は、ワイナリーの拠点をピアーヴェ川の近くに移転しましたが、そのきっかけはボルドーを見て回ったことです。ペトリュスなどポムロールを巡り、そのテロワールに感銘を受け、似たテロワールを求めました。ピアーヴェ川近くのフォッサルタは、川に近いという以外に標高がほぼ同じで、海に近く、粘土質土壌、という共通点があります。背後に高くそびえるドロミテ山脈、前面に暖かい風をもたらす海にはさまれ、寒暖の差をもたらします。これは、いい酸が際立つ素晴らしいブドウができる条件です。
また、山からの雪解け水がもたらす堆積土で造られる土壌によって構成されています。この土壌は「カラント」と呼ばれ、白い粘土とドロミテ由来の豊かなミネラル分で造られています。このカラント土壌は幅が3km、長さが40㎞ほどの帯状のエリアだけで、それよりも海に近いと砂質、山側だと石が多く、タイプの異なる土壌になります。 現在、デ ステファニは最初のカンティーナのあるレフロントロの「コルヴェンドラーメ」、ピアーヴェ地区フォッサルタ ディ ピアーヴェの「レロンケ」、そしてレ ロンケから2㎞の距離のモナスティエル ディ トレヴィーゾの「プラ ロンゴ」の3か所でワインを造っています。 写真左からコルヴェンドラーメ、レ ロンケ、プラ ロンゴ |
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デステファニの品質へのこだわり |
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いいワインは畑で造られます。まず、畑には化学的なものは一切使いません。ブドウ樹は、樹齢20年以上のものだけを使います。古い樹は根を深く張り、土の中の要素を吸収して複雑な味を造ってくれます。また、ブドウ樹どうしの間隔を狭くし、競争させることで根を深くはるようにさせています。60cm間隔で、畝と畝は2メートル。これで1ヘクタール当たり8400本の植密度になります。これは通常の畑の約4倍ぐらいです。密植によって1つのブドウ樹には2つからせいぜい4つの房しか造りません。
収穫は小さな箱に入れ、ブドウの粒が積み重ならないように工夫しています。畑でまず選別を行い、はずれたものは捨てます。カンティーナに運んだあと、2度目の選別作業をします。ここでデステファニの基準に達しなかったものは別のワイナリーに譲ります。 熟成に使う樽はアリエ産のもので、40ヶ月間野ざらしにして甘いタンニンだけが残った木だけを使います。ワインによって、新樽、旧樽を使い分けますが、旧樽は長くて3年目のものまでです。 SO2は醸造工程では使わず、ボトリング時に少量添加するだけです。ワイナリーには418枚のソーラーパネルを設置していてワイナリーの電力を100%まかなっています。有機栽培ではありますが、認定を受けるための申請はしていません。 |
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ヘミングウェイゆかりの建物がカンティーナ |
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ワイナリーはフォッサルタ ディ ピアーヴェにある1800年頃の建物です。実は、アメリカの作家ヘミングウェイ(1899-1961)が第1次世界大戦中の1918年、フォッサルタで赤十字の一員として従事していた際に銃弾を受け、治療のために運び込まれた建物なんです。彼が寝ていた部屋は現在、私たち夫婦の寝室になっています(笑)。
そこでのエピソードがあります。重傷を負ったヘミングウェイはあまりにも辛くて自殺も考えたほどでしたが、デステファニのワインを飲んで元気が出てその考えを変えたんですよ。ここでの経験はその後、『武器よさらば』にも描かれています。 |
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モーツァルトが愛したことでも知られる長い歴史を持つブドウ「マルツェミーノ」。伝統的に甘口が造られているが、デステファニは辛口も造る唯一の造り手。 |
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マルツェミーノはデ ステファニの最初のカンティーナがあったプロセッコエリアのレフロントロ村を起源とする品種です。マルツェミーノはモーツァルト(1718-1787)が愛したワインで、歌劇『ドンジョヴァンニ』のセリフの中にも出てきます。
歴史的にマルツェミーノは700年以上前からパッシートが造られていて、50年前までは甘口のマルツェミーノばかりが造られていました。1995年に曽祖父の時代のマルツェミーノのパッシートを開けたのですが、60年が経過してボトルに残っていた糖分が完全に二次発酵されて辛口になっていて、そのワインを飲んだ人は皆、その味に驚きました。私はこのときの完成された辛口の味を目指してマルツェミーノのパッシートの辛口を造ろうと試行錯誤を続け、8年かかって「ステフェン1624」を2003年にリリースすることができました。 2011年に「コッリ ディ コネリアーノ レフロントロ パッシート」はDOCGに昇格しました。辛口、甘口両方ともにDOCGで、甘口を造っているのは20社ほどありますが、辛口を造っているのはデ ステファニだけです。 マルツェミーノは房が大きく、皮の厚みが大きいことでアッパッシメント(乾燥)に向いています。酸が適度に高いため、乾燥させてもだれたような甘みではなく、フレッシュ感を保ったままパッシートになります。 ここから試飲をしました。 |
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■インタビューを終えて | ||||||||||
偉大なプロセッコの造り手、偉大なスティルワインの造り手、偉大なパッシートの造り手、とそれぞれ存在していますが、そのどの分野においても第一級の評価を受けているデ ステファニ。4代目のアレッサンドロさんが非常に優秀な方なのはもちろんのこと、彼の曾おじいさん、祖父、お父さんと代々受け継がれてきた歴史の厚みのたまものだと感じました。
それにしてもヴェネトのワインはやっぱり面白いと感じました。昔ながらのやり方で造るプロセッコ「コルフォンド」と最新の技術を取り入れた「メトドゼロ」というある意味真逆のスタイルを飲み比べることでプロセッコの奥深さを実感。また、イタリアでも一部の地域でしか造られないマルツェミーノという興味深い品種。ヴェネト伝統のパッシートによって唯一無二のワインが生まれています。 トスカニー直輸入でピアーヴェ地区の造り手のチェッケットもラボゾの第一人者として知られていますが、「チェッケット知ってますか?」と聞くと「もちろん!私はいい造り手としか交流しないからね。よく意見を交換しているよ。」との答え。こういう方たちが切磋琢磨しながらより高みを目指しているんだなと再認識しました。 泡も、白も、赤も、パッシートも、その完成度の高さにただただ恐れ入った時間でした。多くの人にデ ステファニのワインを飲んでいただければと思います。 |
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デ ステファニ社 アレッサンドロ デ ステファニ氏来社
2015/07/29