2008年2月14日 フェウディ・ディ・サングレゴリオ エクスポートマネージャー Mr.Robin Shay氏インタビュー

2008/02/14
突撃インタビュー
 
2008年2月14日 フェウディ ディ サングレゴリオ エクスポートマネージャー ロビンシェイ氏 Mr.Robin Shay氏

フェウディ ディ サングレゴリオ 「ドゥブル」誕生秘話。シャンパーニュの旗手「ジャック セロス」のアンセルムセロス氏のアドバイスを受けてカンパーニャに根付いたスプマンテ「ドゥブル」

ロビンシェイ氏と記念撮影
サングレゴリオ社は、前回インタビューさせて頂いた、エンツォ・エルコリーノさんが自らの手で築いた サングレゴリオを退陣することになり、今、経営はエンツォさんの奥様の親族の手によってなされるようになったのですが、今回、経営体制が変わってから初めてのインタビューとあってどんな話を聞かせてもらえるのだろうかと 気持ちも新たに望むようなそんな気持ちで会場に向かいました。

当日迎えてくれたのは、新たにサングレゴリオ エクスポートマネージャーとなったMr.Robin Shay。
名前から想像がつくように、イタリア人ではない彼は生まれも育ちもアメリカ人。
とても親しみを覚える笑顔の絶えないマネージャーさんです。(なんと30歳の若さ)もちろん話はすべてイタリア語。今回ドゥブルの話を中心に解説を頂きました。

バジリカータ、プーリアにもワイナリーを所有。ローマヒルトンのペルゴラのシェフ、ハインツベックの元2番手として活躍していたパオロ バラーレシェフによるレストラン展開

ロビンシェイ氏「アヴェリーノという土地をご存知でしょうか?南イタリアというと、青い海や、太陽の照りつける夏のイメージがあるかと思います。5~6年前にはじめて自分が南イタリアを訪ねたとき、そのイメージが全然違うものだということに気が付きました。アヴェリーノは寒くて雪が降るんです。
フェウディ ディ サングレゴリオは地域でも有名なファミリーでイタリア国内には現在3箇所にワイナリーを持っています。一つはカンパーニア、それからバジリカータ、プーリアです。
本拠地カンパーニャのアヴェリーノは山々の標高も1000~1500mととても高く、自社畑の標高も500~600m。火山灰質土壌のため、とてもミネラル分豊富なワインが出来ます。

カンティーナは日本人の建築家Mori Hikaruさんに設計してもらいました。また、地域の方を含め、沢山の方にカンティーナに来ていただきたいと考えていますので、カンティーナ内にレストランや劇場を作っています。モダンなテイスティングルームは熟成用の樽を一望できるようなガラス張り部屋になっています。また、ナポリ郊外にもワインバーがあり、そこでは、ローマヒルトンのペルゴラのシェフ、ハインツベックの元2番手として活躍していたパオロ・バラーレがシェフを務めています。」

食、芸術を通じて地域の振興ということを考えているサングレゴリオの姿勢を感じ取れる話でした。

サングレゴリオの新しい挑戦!シャンパーニュの旗手アンセルムセロス、イタリアの重鎮リカルドコタレッラ、 サングレゴリオが手を組んだ

「サングレゴリオは新しい挑戦を始めています。 革新は挑戦の連続の上にしかできないのですが、DUBL(ドゥブル)もそんな挑戦の一つです。このドゥブルという言葉は言語としては存在しない造語です。意味としてはダブルという「2つの」という意味を託しています。これは2つのワイナリーの手によるもので、2回の発酵をしており、2つのワイナリーの醸造哲学によるものです。」 「フランスはアンセルム セロス、コンサルタントのリカルド コタレッラ、サングレゴリオの醸造家マルコ ガローネが造り上げたワインです。1つの品種を違う観点からアプローチして創造したものです。」

「フランスでのセロスの哲学は「私はシャンパンを造っているのではない。偉大なブルゴーニュワインに少し泡を入れたいだけだ。」というもので、この哲学に基づいたアドバイスを受けながらカンパーニャに根付いたのがこのドゥブルなんです。」

対談中

「セロスはサングレゴリオのある「イルピニアエリア」に以前から関心を持っていた。そして、シャンパーニュのビオダイナミック農法をこの地で実践してみたいと考えたんです。そして、セロスが南イタリアに来て土地のぶどうの特徴を研究し、畑をセレクトしてここが有機農法に適しているところを選び出した。そして彼は2年の収穫に立ち会いながら研究を重ねた。特に『土を感じて欲しい』ということで、ミネラル感やしょっぱさをドゥブルに見つけて欲しいなと思っています。」

ドゥブルファランギーナについて

ドゥブルファランギーナ「ファランギーナは20~30年前にはヴェルモットの原料として使われていました。
放っておくと実を沢山つけるので、量産タイプと考えられていたが、サングレゴリオは以前からそのポテンシャルに注目していて、世界もまた、ファランギーナのポテンシャルに注目し始めた。 このファランギーナは18ヶ月瓶内2次発酵を行っています。」

ドゥブルグレコについて

ドゥブルグレコ「アスプリーニュリベルサでグレコを栽培。昔から栽培されていたが、1912年のフィロキセラの害で、シャンパーニュも被害を受け、被害を受けていなかったこの地のグレコのスプマンテを買ったという話は有名です。
この地は白い土壌で標高が高く寒い。石灰岩、粘土、火山灰、硫黄など色々な土で構成されていて、そのため、ポテンシャルの高さを予測できた。これは24ヶ月の瓶内2次発酵」

ドゥブル アリアーニコロザートについて

ドゥブル アリアーニコロザート「この地のアリアーニコは長期熟成の赤をイメージさせますが、ストラクチャーもタンニンも強く、このようなぶどうでロゼを造るのは難しいんです。色が強く、タンニンもあり、酸もある。そこにやわらかさをプラスしたのが、このスプマンテです。18ヶ月の瓶内2次発酵を経ています。」

「3種類のドゥブルに共通して言えること。それは泡の気圧が少し穏やかということです。あまり気圧が高いと刺激が強く、ワインの味をとらえられないのではないかと言う、セロスの哲学に基づいています。このプロジェクトは2000年から始まりましたが2004年に初めてドゥブルができました。このスプマンテはヴィンテージスプマンテでやっていくというのがサングレゴリオの考えで、裏ラベルにちょっと注目していただければと思いますが、ここに、収穫年はもちろん、おり引きの時期など記載しています。」

以上全体的な説明を頂戴した後、ロビンさんと向かい合ってのインタビューをさせていただきました。

 

エンツォさんの突撃ページを見ながら

エンツォさんのイルピニアに対する想いがセロスを動かした。

イルピニアの再興のために、土着品種ですばらしいスプマンテを造りたい。 サングレゴリオの考えに共感したセロスは、イルピニアのテロワールに魅せられて共同プロジェクトが始まったんです。 ドゥブルはすばらしい人と人の共鳴の中から生まれた感動のスプマンテです。

イタリア国内で支持の高いフェウディ ディ サングレゴリオ。国内販売は全体の7割

アッピ:サングレゴリオさんのワインはイタリアの主要な空港の免税店にほとんど入っていて、営業力が強いんですね。いつも感心しています。
ロビン氏:(笑いながら)ありがとうございます。国内での販売量は全体の7割と実に多いんです。世界的に名の通っているワイナリーでは珍しいことで、アンティノリなどは、半分が国内、半分は輸出と聞いています。国内の営業マンががんばっていますからね。私達はイタリアのキャンティやバローロなどに比べるとまだまだ弱いエリアなので、力をつけていかないとイタリアで売るのは難しいと思っています。

多忙なアンセルム セロス氏が唯一コンサルタントを引き受けるワイナリー。個人的つながりではなく、テロワールに惚れたアンセルム・セロス氏

アッピ:ドゥブルについて聞きたいのですが、どうして、セロスさんと一緒にワインを造るということになったのでしょうか?経緯が知りたいのですが。

ロビン氏:もともとは、トスカーナのサングレゴリオの代理店がジャックセロスをイタリアに輸入していたんです。前経営者のエンツォは以前から土着品種でスプマンテを造りたいと言っていて、セロスをカンパーニャに招待した。カンパーニャに来たセロスが畑や施設を見て、テロワールのポテンシャルを感じ取ったんです。それが2003年のこと。
フェウディのスプマンテはイルピニア地方の再興を目指す。このことはワイナリーの気持ちの表れなんです。この地方は1980年に大規模な地震があり、人口は流出して、産業は荒廃していた。それをみていたエンツォは、なんとかイルピニアを立て直したいと思っていた。それが、そもそも、ワイナリーを立ち上げるきっかけとなりました。イルピニアの町を世界に知らしめようという想いです。セロスがドゥブルの話に乗ったのは、誰かの紹介などの人的なつながりなどではなく、畑を見て、素直にやりたいと思った。そういうことです。

アッピ:テロワールに惚れた。ということですよね。そのテロワールというものはいったい、セロスにとってどういうことなんですか?

ロビン氏:セロスは言っています『テロワールとは人である』と

アッピ:つまり、『テロワールとはエンツォさん?』

ロビン氏:サングレゴリオにとって、『ワインを造るということはイルピニアといエリアを再興していくということ』なんです。だから、サングレゴリオは大学生を職場に受け入れたり、ワイナリーでイベントを開いたり、近くの家庭的に恵まれない子供たちを20人ほど受け入れてワイナリーの中で生活させたりしています。
セロスは『サングレゴリオを取り巻くプロジェクトに共感した』のです。セロスは世界を飛び回るワインメーカーではありません。世界的にも注目を浴びているが、すべて彼は断っている。サングレゴリオが唯一彼がコンサルタントを引き受けているワイナリーなんです。

テイスティングワイン

アッピ:それにしても、地域のためにと言って、それだけの投資をしたりすごいことです。サングレゴリオさんは資金的にも豊富な中でそのような活動をされているのでしょうか?

ロビン氏:サングレゴリオは銀行の与信がとても高いんです。州や国からたくさんの融資を受けています。1980年のイルピニアの地震のあと、国から大きな援助を受けています。

アッピ:州や国もサングレゴリオの地域活動を理解して応援してくれているというわけですね。」

アンセルム セロス、コタレッラ、サングレゴリオがともに歩むワイン造り

アッピ:「それにしても、アンセルム セロスさんがいて、コタレッラさんがいて、サングレゴリオ自身の経営者、そして、醸造家もいて。そのコーディネートはどのように行われたのでしょうか?

ロビン氏:まず、セロスがワイン像を50ページの紙に書き上げました。彼の哲学、フランスでのワイン造り、カンパーニャでのワイン造りについてまとめたんです。そして、コタレッラとサングレゴリオが集まり、1つの指針を作った。1年かけてそこをすり合わせたんです。
主体はサングレゴリオにあり、実際に決め行っています。セロスもコタレッラもコンサルタントというスタンスでアドバイス与えてくれている。そして、初年度ファランギーナを18000本、グレコを20000本、アリアーニコを12000本トータル本数で50000本を作りました。

アッピ:初年度からすごい本数ですね。

ロビン氏:ジャックセロスの全生産本数も約50000本ですから、多いといえば多いのかもしれませんが、サングレゴリオから見ると少ないですよ。まだ、イタリア、日本、ドイツ、スイスの4カ国にしか案内できていない。アメリカにも紹介できないような状況です。取引先は全部で34カ国もありますからね。もっと紹介したいと思っています。

クティっツィについて

クティっツィアッピ:私も大好きな白で、クティッツィやピエトラカルダについて教えて欲しいんですが

ロビン氏:クティッツィはアヴェリーノの方言で「栽培できない」の意味。なぜかというと火山灰質土壌の特徴押して各層の密度が違い、また、クティッツィは急な斜面にあるために、土が滑り落ちてしまうので、耕すことができないということになったわけです。クティッツィの畑は一番標高の高いところにある畑で全部で25ヘクタール。年間18000本を生産しています。
クティッツィはグレコ種から造られるわけですが、密植率が高い方がふくよかなブドウができるんです。私達は畑に最も投資していますが、利益が還元されるのはずっとずっと先です。それから、このクティッツィの標高の高さ(700m)に加えて、水はけがよく、枯れた土という点はブルゴーニュとよく似た条件になっています。この畑は全イタリアのDOCの中で最高に高い畑なんです」

アッピ:ということは、収穫なんかも遅い?

ロビン氏:年によっても違いますが、2007年のグレコの収穫はネッビオーロよりも遅かったんです。イルピニアがイタリアでもっとも収穫時期の遅いエリアです。アリアーニコの収穫なんて雪の中ですることもあるんですよ。ドゥブルのグレコもこのクティッツィと同じ畑のエリアものです。ちょっとクティッツィの下あたりの畑です。ドゥブルで酸を少し表現したかったので、クティッツィよりもドゥブルの収穫がちょっと早いんです。

アッピ:ピエトラカルダはどうでしょう?

ピエトラカルダについて

ピエトラカルダロビン氏:ピエトラカルダは『熱い石』という意味で、フィアノ種から造られるワインですが、フィアノディアヴェリーノの土壌は粘土質だけれども、砂利を多く含み排水性が高い土壌で、ピエトラカルダの畑は南向き斜面にあります。土の中の砂利が熱せられて土が温かいというわけです。標高は450m。

ピエトラカルダの周りには、栗やヘーゼルナッツの木が植えてあり、ワインに、ヘーゼルナッツのニュアンスがあると良く言われています。このワインは若いときは桃のようなニュアンスがあり、熟成してくるとヘーゼルナッツのニュアンスが出てきます。また、熱いエリアなので、トロピカルな感じもあります。フィアーノディアヴェッリーノの畑は30ヘクタールほどありますが、このピエトラカルダは2ヘクタールの畑で栽培されています。

アッピ:ロビンさんはクティッツィとピエトラカルダどっちが好きですか?

ロビン氏:う~~ん。比べることは出来ないほどどっちも好きなんだけど、どっちかといえば、ちょっと、クティッツィのほうが多く好きかな?でも、品種的にはピエトラカルダの方が好きで。フィアーノを熟成させると複雑さが出てきて、とても面白い品種なんです。

アッピ:うんうん。確かに熟成すると、変わる変わる。どのくらい熟成できるんでしょうか?ね。

ロビン氏:自分的には4~5年と思っているんですが、10年もつとも言われています。本当に複雑な味わいになります。僕としてはフィアーノはもっと熟成させた方が面白いと思っていて、コレこそイタリア人のワインのコンセプトを変えていかないといけないと思っています。クティッツィ、ピエトラカルダ、カンパナーロはそういう考えを覆すポテンシャルのあるワインで、きちんと熟成し、うまいといわせることのできるワインです。

ワイン達

アメリカとイタリアの違いの中で、ロビンさんがイタリアのカンティーナで働く経緯

アッピ:最後に、ちょっと個人的な質問をしてもいいですか?
ロビンさんは生まれも育ちもアメリカ人じゃないですか?なぜ、サングレゴリオに辿り着いたんですか?

ロビン氏:大学がリスボンだったんです。経営学を勉強したんですが、ポルトガルのトリガナショナルという土着品種がそれはおいしくて。僕の故郷はナパなんですが、ナパで栽培されているぶどうはほとんど国際品種じゃないですか。僕はポルトガルで、土着品種に目覚めたんです。『これからは土着品種だ~』と。
そういわけで、土着品種を極めていったらサングレゴリオに辿り着いた。門をたたいたんです。畑仕事でもなんでもするから雇ってくれと。そしたら、最初の年が無給でもいいんなら使ってやるといわれて。最初は畑に出ていて、だんだんに、醸造を手伝ったり。今ではエキスポートマネージャーになりました。

アッピ:でも、ロビンさん、アメリカとイタリアは本当に違うよね。カルチャーショックはなかったの?
ロビン氏:今ではアメリカに行くとカルチャーショックを受けるくらいで。本当は経営とかに興味があったんだけど、ハツカネズミみたいに、競争して働いている生活や、物質主義的なアメリカはちょっとどうかなと思ってね。
イタリアでは全然違う生活だから、ある意味人間らしくくらしているよ。
でも、僕も本来はアメリカ人だから、東京はもちろん大好きだし、イタリアに24時間営業のお店はないから、夜に食べに行くこともできなくて、愕然とすることもあるよ。今でもイタリアで慣れないのはそれだけだよ。24時間営業の店がない!

最後のほうはロビンさん、すっかりアメリカ人の顔になっていて、言葉も英語になっていました。
私の大学時代の友人がやっているナパの寿司レストランもよく行くそうで、私の名刺を持って今度その寿司レストランに行ってくれるそうです。というわけで、すっかり打ち解けたしだいです。

インタビューを終えて
サングレゴリオのカンパーニャ的ワインに惚れこんだアメリカ人の青年ロビンさんが広めようとしている。今は、サングレゴリオを退いたエンツォさんの情熱が色々な世界に広がっているようなそんな気もしました。

ドゥブル。アンセルムセロスが、サングレゴリオの地域への想いに共感して作り出したすばらしく、フレッシュでおいしいワインがやさしく発泡するスプマンテ。
色々な人の愛情が注ぎ込まれたワインだと思うと一層おいしさが増してきました。
アンセルムセロスの哲学「私はシャンパンを造っているのではない。偉大なブルゴーニュワインに少し泡を入れたいだけだ。」は、カンパーニャの地で、その土地の品種で見事にカンパーニャ的スプマンテとなって生まれ変わりました。
確かに、スパークリングというよりはワインに近いドゥブル。やわらかな果物をほおばるようないきいきとした味わいと口の中で溶けていく雪のような柔らかな発泡。
そして、すばらしい、セロスとサングレゴリオの共鳴。飲んで心に響く本当に美しい味わいのドゥブル是非、サングレゴリオの情熱を感じながらお召し上がりいただければ幸いです。

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