2017年10月2日 ベラヴィスタ社 ヴェーラ マリサーニさん
フランチャコルタ誕生以前にメトドクラシコに着手したベラヴィスタ!“何もないところから始める”ベラヴィスタスタイルはトスカーナ・スヴェレートでも実現!ベラヴィスタ&ペトラ突撃インタビュー |
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フランチャコルタの名門ベラヴィスタと、ベッラヴィスタのオーナー、モレッティ家の娘フランチェスカさんがトスカーナ・スヴェレートで手掛けるペトラ。今回、モレッティ家のもとでブランドアンバサダーを務めるヴェーラ マリサーニさんにベラヴィスタとペトラについてお話を伺いました。ベラヴィスタとしての確たる信念と強い誇り、そしてトスカーナでの赤ワイン造りにかける情熱など、ヴィットリオ氏とも親しいヴェーラさんだからこそ知っているお話も聞くことができ、楽しいインタビューとなりました。 | ||||||||||
フランチャコルタが誕生してから今年で50年。フランチャコルは起業家ヴィットリオモレッティ氏の強い意志から生まれた |
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フランチャコルタは2017年の今年、誕生から50周年という記念の年を迎えました。キャンティや、それにシャンパーニュなどの歴史的なワインと比べるとまだまだ若いワインになります。フランチャコルタはどうやって誕生したかご存知ですか?ブドウ栽培農家たちが集まって運動したというわけではなく、ある起業家の強い意志から生まれました。それがヴィットリオモレッティ氏です。
ヴィットリオモレッティ氏は建設業で成功していた人物です。イタリア国中でカンティーナを建設する許可証を持ち、イタリア中にモレッティ氏が建てたカンティーナがあります。様々なカンティーナを造っていく中で自分のワイナリーが欲しいという気持ちが生まれました。また、モレッティ氏は海が大好きでヨット造りもしていました。カンティーナの竣工式やヨットの進水式などのお祝い事には必ずシャンパーニュがふるまわれました。それならば自分でシャンパーニュ同様のスパークリングワインを造ろう。そう決意したのです。そこでシャンパーニュに視察に出かけました。モレッティ氏が27歳の頃のことです。 ベラヴィスタは、フランチャコルタが生まれる前にそのワインの姿をイメージしていたヴィットリオモレッティ氏と、醸造家マッティア ヴェッツォーラ氏の信頼関係によって誕生し成長 モレッティ氏は起業家ですからワイン造りの技術的な知識はありません。つまり、エノロゴが必要でした。そこでエノロゴとして誰に依頼するかが重要なポイントでした。そして、マッティアヴェッツォーリに出会い、自身の思い、考えを共有できる人物であると感じ、エノロゴとして迎えました。 モレッティ氏は「最高のスパークリングワインを造る」という強い気持ちでワイン造りを始めました。当時はスパークリングワインと言えばシャンパーニュ。一方、このエリアには、シャルドネ、ピノネロ、ピノビアンコから造る「クルテフランカ」というスティルワインがすでに存在していました。この3つのブドウはシャンパーニュの原料でもある。ならばここでもシャンパーニュと同じスパークリングワインができるはずだとモレッティ氏は考えたわけです。 ベラヴィスタの設立は1966年です。そこから10年間、モレッティ氏とヴェッツォーラ氏はスパークリングワインを造るための準備を進めました。建設業で得たお金をそのままワイナリーの投資に充てました。ヴェッツォーラ氏の意見を聞きながら良質なブドウができる畑を購入し、整備していきました。結果、フランチャコルタの19のコムーネ(村)に、トータルで200ヘクタールの自社畑を所有することになります。そして1976年に初ヴィンテージとなるフランチャコルタをリリースしました。 |
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ベラヴィスタのワイン造りでもっとも重要なことは「手作業」であること |
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ベラヴィスタのスタンダードキュヴェ「アルマ」はノンヴィンテージで、それ以外のワインはすべてヴィンテージ表記のミレジマートになります。アルマに使うシャルドネはそれ以外のワインには使っていません。アルマを表現するシャルドネはこのシャルドネ、と決めているからです。
ベラヴィスタのワイン造りでもっとも重要なことは「手作業」ということです。完璧なワインを造るには完璧なブドウをカンティーナに持ってくること。そのため、畑の中で使用する房を手作業で選別します。一般的には、カンティーナのコンベアの上で房を選ぶ作業を行っているところも多いですが、ベラヴィスタでは畑でそれを行います。完璧なブドウだけを摘み、使わないブドウはそのまま置いておくことでブドウ樹に負担をかけないようにしています。 こういうことをやっているのもヴェッツォーラ氏の考えです。ベラヴィスタがスタートした1970年代から80年代は、イタリアワイン業界においてはメタノール事件など様々な問題が発生した時代です。当時のワイン生産に対する意識は現在とは全く違います。現在では絶対にやらないことを平気でやっていた時代です。 その頃、ヴェッツォーラ氏のやり方を他のワイン生産者たちは「なんてバカなことをやっているんだ」と非難しました。誰もが農薬を使っていたときにヴェッツォーラ氏は「農薬にまみれたブドウなんてワインにするべきじゃない」と、無農薬のブドウ栽培を推し進めました。また、醸造過程での酸化を防ぐため、真空状態のタンクでの発酵が当然だった時代に、あえてコカール(コカルダ)というフランス製の機械でソフトプレスする方法を選びました。この時点で空気と触れさせることで酸化をさせてしまい、そのあとの醸造過程ではもう酸化はしないからこれがベストなんだというヴェッツォーラ氏の考えです。当時は馬鹿にされていたこの考えですが、現在は誰もがワイン造りの常識だと考えています。 ベラヴィスタはワインを造っているのではない。素晴らしい時間を享受するためのものを造っている ベラヴィスタのワイン造りのアプローチは他の生産者とは違うものがあります。ベラヴィスタの哲学は「ベラヴィスタはワインを造っているのではなく、素晴らしい時間を享受するためのものを造っている」という考え方です。その想いで毎年、毎年、ワインを造っています。 ベラヴィスタが採用しているコカールというプレス機は5時間で5QL(500キロリットル)しか搾れません。これは、ブドウの粒の重みだけで自然に粒が砕けて落ちてくる果汁だけを得るためです。これを狙った通りに行うためには、完璧な熟成具合のポイントでブドウを収穫することが必要不可欠です。ベラヴィスタの完璧な熟成具合というのは、ほんのわずか過熟気味のタイミングを見極めて収穫をするということです。 200ヘクタールの畑ですから、それぞれについて完璧な熟成具合は違うタイミングでやってきます。つまりそれだけ多くの人手が要るということです。毎年ヴェッツォーラ氏が「今がここを収穫するタイミングだ!」と指示を出します。ブドウの酸と糖度の数値がそれよりも多くても少なくてもだめなのです。 2004年にはこういうことがありました。2004年はベラヴィスタ史上最高の年になったのですが、そこに至る過程は大変なものでした。ブドウも素晴らしく成熟が進み、他のワイナリーはみんな収穫を終えた時期になってもヴェッツォーラ氏は収穫の指示を出さないのです。他社が収穫を完了させ、1週間してモレッティ氏はヴェッツォーラ氏に毎朝「いったい、いつになったら収穫するんだ」と詰め寄っていました。毎朝、毎朝、二人の良い争いがあったのでワイナリーのスタッフ全員がそれを聞いていました。そして10日後、業を煮やしたモレッティ氏はヴェッツォーラ氏に「今日こそ絶対に収穫するんだ。すべてのブドウを失ってもいいのか。他のワイナリーみんなは終わっているんだぞ。」と怒鳴りました。返答したヴェッツォーラ氏の一言はまさに記憶に残る名ゼリフでした。「私たちはみんなではありません。私たちはベラヴィスタです。」 |
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200ヘクタールの畑から147区画に分けて収穫、醸造し、130のベースワインを造り、ブレンドさせる |
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2017年は147区画のキュヴェができました。それを別々に醸造してその後130のベースとなるワインを造りました。例年、ベースのワインの30%をピエスという小さい樽で熟成させています。
スタンダードキュヴェのアルマはノンヴィンテージですが、98パーセントはその年のヴィンテージワインで造っています。140のベースワインをブレンドさせてアルマができます。実は10年前からピノビアンコを1パーセントブレンドしています。ベラヴィスタには樹齢70年の古いピノビアンコがあるのですが、使ってはいませんでした。でも、アルマは魂、ハートという意味のワインです。ベラヴィスタの心でもあるアルマにこのピノビアンコを加えるのは意味がある、ということでブレンドさせることにしました。私たちはこのピノビアンコのことをタルトを造るときのほんのひとかけの塩のようなもの、という認識でいます。塩を入れることで樽と全体の味わいが引き立ちますよね。 2016年はアルマは100%2016年収穫のブドウを使っています。でもヴィンテージ表記はしません。2017年は難しい年で収穫量も減っていますのでリザーブワインをブレンドしています。ベラヴィスタのワインは自社畑のブドウだけでしか造りませんので、収穫量が減ったらその分生産量も減ります。 先ほどのエピソードではないですが、ベラヴィスタの収穫は他社よりもいつも遅めになります。暑かった2017年もいつも通り遅めでした。リスクはありますが、ヴェッツォーラ氏は「いつも通りのやり方」で進めました。ただし、収穫期間は例年に比べて短めです。 全てのボトルのルミュアージュも手作業で行うという信念 瓶内熟成の時間はワインによって違います。アルマは4年、ブリュット、ロゼ、サテンは5年、パスオペレは6年、ヴィットリオモレッティは7年です。そして全てルミュアージュは手作業で行っています。もはやシャンパーニュのグランメゾンも機械を導入しているのに、です。モレッティ氏は「私たちはベラヴィスタです。手作業で行うことが私たちのスタイルなんです」と。ルミュアージュはクリスマスと大みそか以外、毎日行っています。1日当たり6000本ぐらいの瓶を動かしています。だからカンティーナに入ると「カタ、カタ、カタ・・・」という音が静かに聞こえてきます。 ハーフボトルもマグナムも、ダブルマグナムもすべて手作業です。それぞれに合わせたピュピトルも開発したんです。ボトルの設計も1979年にモレッティ氏が開発したもので今もそのデザインを使っています。 |
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ボルドースタイルのワインこそ自分が好きなワイン。末娘フランチェスカの強い意志によって誕生したペトラ |
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続いてトスカーナでモレッティ家がワイン造りを行っているペトラについて説明しますね。ベラヴィスタがモレッティ氏とヴェッツォーラ氏の二人の愛情が生んだワイナリーだとすると、ペトラはモレッティ氏と末娘フランチェスカの親娘の愛情が生んだワイナリーです。モレッティ氏の末娘のフランチェスカは幼い頃からワインに興味があり、ブドウ畑で父親たちの仕事をひっついて見ていた子供でした。彼女が15歳の時、モレッティ氏と一緒にボルドーに行き、ボルドーブレンドのワインこそ自分が好きなスタイルだということに気がついてしまいました。そして、自分が18歳になったらボルドースタイルのワインを造るワイナリーを持つことを父親に約束させました。
フランチェスカのワイン造りの想いに対して半信半疑だったモレッティ氏も、さすがに彼女がボルドー醸造学校を卒業して帰ってくると、彼女の夢を実現することに全力を注ぎます。モレッティ氏が赤ワイン造りを始めるという噂はすぐに広まり、多くのオファーがやってきました。中には「オルネッライアを検討しないか?」というものまでありました。しかしモレッティ氏は「私はカンティーナを購入したいのではない。(これまで存在していない)新しいアペラシオンを造りたいんだ」という考えを曲げませんでした。 ボルドースタイルのワイン、ということでトスカーナ中を見て回り、見つけたのがスヴェレートの土地。今から32年ほど前のことです。実はここにはナポレオンの従妹がフランスから持ってきたという、イタリアで最も古いメルローとカベルネソーヴィニョンの畑があったのです。ですが、それ以外は全く何もない、自然そのままの場所でした。そして20年前にペトラを設立しました。 |
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フランチェスカの強い個性が表現された「ペトラ」はエレガントなボルドーブレンドのワイン |
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ペトラの土地は300ヘクタールありますが、そのうちブドウ畑は30ヘクタールで残りはほとんど森林のままです。この自然な環境をできるだけ壊さないようにするカンティーナを造るために有名なスイス人建築家マリオボッタに設計を依頼しました。丘陵地の風景に溶け込むように丘の中に隠れるように造られ、地上にはほとんど建築物は出ていません。カンティーナの中も重力の力で醸造が進むように工夫されています。
ペトラが始まった時には何もなかったスヴェレートですが、モレッティ氏とフランチェスカがワイナリーを整備し、発展させていき、遂にスヴェレートDOCGという、新しい呼称(アペラシオン)が誕生するまでになったのです。 ワインは造る人の個性が表現されると言いますが、ペトラはまさにフランチェスカの強い個性が表れているワインです。ボルドーブレンドのフルボディながら女性的なエレガントさがある。このスタイルは他のボルドーブレンドのワインにはありません。ペトラはフランチェスカと、有機栽培のシステムをサポートするボッコーニ大学の先生、そして醸造のアドバイスとしてジュゼッペ カヴィオラ氏のチームによってワイン造りが行われています。 |
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■インタビューを終えて | ||||||||||
フランチャコルタのトップワイナリーに君臨するベラヴィスタ。今回お話を聞いて、ベラヴィスタなくしてはフランチャコルタの誕生もなく、現在のような発展もなかっただろうと強く感じました。何もないところから創造するヴィットリオ モレッティ氏の力、そして、モレッティ氏と二人三脚で偉大なワインを生み出したマッティア ヴェッツォーラ氏。最高のパートナーです。
トスカーナのワイナリー「ペトラ」の誕生エピソードにも驚かされました。単純に言ってしまえばお金持ちのお嬢さんのスケールの大きいおねだり、ですが、それをしっかりとした事業にし、さらには新しいDOCG誕生までやり遂げたモレッティ親娘。まったく凄い人たちです。 今回の試飲を通して改めてフランチャコルタという土地の強い個性を感じました。スティルワインのクルテフランカを飲むことで、さらにベラヴィスタへの理解が深められると思いますのでぜひお試しください。 |
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フランチャコルタを生み出したベラヴィスタ、スヴェレートDOCGを誕生させたペトラ
2017/10/11