2018年5月22日 カステッロ ディ アマ社 マルコ パランティ氏、アルトゥーロ パランティ氏
エレガントサンジョヴェーゼの真髄!最も尊敬を集める優雅で美しいキャンティクラシコ!世界中が賞賛する偉大なカンティーナ「カステッロ ディ アマ」突撃インタビュー |
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カステッロ ディ アマのマルコ パランティ氏は『ガンベロロッソ』2003年版でエノロゴ オブ ザ イヤー(年間最優秀ワイン生産者)に選ばれ、また2006年から2012年の2期にわたり、キャンティ クラシコ協会の会長を務めるなど最も尊敬を集めるイタリアを代表する偉大な生産者です。キャンティ クラシコが「早く飲める安ワイン」という存在だった時代に、マルコ氏は「5年経っても美味しく飲める=熟成するキャンティ クラシコを造る」と目標を掲げ、ブルゴーニュ的なクリュごとに収穫、醸造する方法、収量を約50%に制限する2つの手法を持ちこむことで優雅でフィネス溢れる美しいキャンティクラシコ「ベッラヴィスタ」「カズッチャ」をリリース、以来世界中の愛好家を唸らせる至極のサンジョヴェーゼを産み出しています。シャトーペトリュスにブラインド試飲で勝利した「ラッパリータ」はトスカーナで初めてメルロー100%で造られたスーパートスカン。偉大なワインを産み出すマルコパランティ氏、ご子息のアルトゥーロ パランティ氏に他の追随を許さない偉大なワイン造りの哲学について聞きました。 | ||||||||||
最も尊敬を集めるイタリアを代表する偉大な生産者 |
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マルコ パランティ氏
トスカーナ出身。大学で栽培学を学びワイン醸造をフランス、ボルドーで勉強。キャンティ クラシコが「早く飲める安ワイン」という存在だった時代に、マルコ氏は「5年経っても美味しく飲める=熟成するキャンティ クラシコを造る」と目標を掲げ、ブルゴーニュ的なクリュごとに収穫、醸造、収量を約50%に制限する2つの手法を持ちこむことで、品質改善を実現、その比類なき拘りから産まれるワイン造りで最も尊敬を集めるイタリアを代表する偉大な生産者です。 優雅で「フィネス」溢れる美しいキャンティ クラシコ「ベッラヴィスタ」「カズッチャ」でこれまでのキャンティクラシコでは考えられないような素晴らしいキュヴェをリリース、以来世界中のワイン愛好家を唸らせる至極のサンジョヴェーゼとして高い評価を受けています。 1985年にリリースしたメルロー100%スーパートスカン「ラッパリータ」は飲む者を包み込む優雅で品格に満ちた唯一無二の味わい。「ペトリュス」に「マッセート」と等と並び偉大なメルローとして常に注目を集めています。 『ガンベロロッソ』2003ではエノロゴ オブ ザ イヤー(年間最優秀ワイン生産者)に選出。2006年から2012年の2期にわたりキャンティ クラシコ協会の会長職を務めるなど、イタリアワイン界に常に大きな影響を与え続ける重鎮です。 トスカーナ大公に認められたキャンティエリアで最も素晴らしいワインが出来る場所「アマ」 アマの畑は非常に歴史的な場所にあり、古代エトルスキ時代には畑が存在していました。1600~1700年代にはアメリカに輸出されていた歴史もあり、良いワインが出来る場所として昔から名声を得ていた畑でした。18世紀のレポートの中では、「アマ村への道は、丘の上の道、3マイル先にある。そこでは、キャンティにおける卓越した家族が暮らし、美しく手入れをされ、肥沃な穀物畑であり、オリーブの森や偉大なブドウ畑がある」と記されています。1700年代に、トスカーナ大公が「アマ」という畑はキャンティエリアで最も素晴らしいワインが出来る場所と記述が残っています。 土地が荒廃し、素晴らしい畑も忘れ去られた状態が続く フランスワインをいたく気に入っていた4つ家族の一人が1974~1975年頃に「ここでワインを造ろう」という話が持ちかけました。1979年には現在使っている醸造所のベースとなるカンティーナを造り上げていました。ワイン造りに関しては素人でしたが、4つの家族の皆さんはエンジニアの仕事をしていたので、(彼らが造った)醸造所は実にしっかりと Q.最初に畑を購入した時は「アマ」の畑だと知っていたのでしょうか? 4つの家族が購入時「アマ」の畑のストーリーは知っていました。今のようなワイン造りでは無かったのですが、ブドウ自体はずっと畑に存在していました。 |
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大学では栽培学を専攻。ワイン造りの基本はボルドーで学んだ |
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大学では栽培学を専攻。ワイン造りの基本はボルドーで学んだ 1982年、一人の若いエノロゴがこのカンティーナに赴任しました。それが私です。まだ農業大学を卒業したばかりでした。大学でアグロノモ(栽培学)を学んでいましたが、醸造学というのは当時のイタリアには存在していなくて。その時に4人の家族が私にフランス、ボルドーで醸造を学ぶ機会を造ってくれました。シャトー ムートン ロートシルトの醸造長となるパトリック レオン氏に学ぶ機会に恵まれ、色々と経験を積む事が出来ました。私のワイン造りの基本はボルドーで学んだものが大きいです。 Q.いきなりボルドーの凄い醸造家にワインを学んだのですね。 物凄く幸運でラッキーだったと思います。私が「アマ」に赴任した時、新しいワイナリーだとは勿論わかっていましたが、皆さんが真面目に「良いワインを造ろう」という気持ちが物凄く伝わってきました。新しい事にチャレンジしていって競争力も付けていく。そういう姿勢に共感出来ましたし、将来的にはキャンティだけでなく、トスカーナ、そして世界へ向けたワインを造る事を目指すようになりました。 Q.ボルドーでワインの勉強をしていた時はトスカーナと行き来していたのですか? 「アマ」で仕事をしつつ、一段落した時期にボルドーに行きました。1週間~2週間程度の期間で酵母の事、醸造の事など専門的な分野に各回集中して学びました。パトリック レオン氏からも試飲を通して学ぶことも多かったです。 パトリック レオン氏の影響は確かにありますが、レオン氏だけ限った話では無くて当時イタリアでは、ワイン醸造についてしっかりと教えてくれる人はいませんでしたから。フランスはワイン醸造という学問を教えてくれる教授陣がいて、また実際に現場を知っている醸造家がいて、双方がとても上手く結びついている状況がありました。醸造を進めていくうえで何かしらの問題にあたったとしても、「より現実的なアプローチで解決していく」という進め方をフランスで学んだように思います。イタリアでは当時そういう考え方はあまりなかったと思います。 フランスで学んだ「テロワールの特徴を出すようなブドウ栽培」 「3つのタイプのワイン」 第二に、誰が造ったか、どのエノロゴが造ったかという事。「ミシェル ロラン」や「リッカルド コッタレラ」に代表されるようなエノロゴの存在が強いワイン。著名なエノロゴが造った事で「ある種の保証」というか、「品質に問題の無いワイン」という信頼は産まれますが、出来上がるワインの個性はどうしても似通ってくる。エノロゴのワインというものは「テロワール」が云々と言うよりは、エノロゴの特色が前に出てくるワイン。 第三は、「テロワールを表現したワイン」。勿論エノロゴもいるのですが、決してワインの個性より前に立つことはありません。あたかもオーケストラの指揮者のように一歩下がってテロワールを尊重する。ベートーベンの協奏曲を演奏したとしても、決して自分はベートーベンではない。纏め上げる役割を果たす人だという事。つまり人は「テロワールとブドウと気候の上に立ってはならない」という考え方です。 |
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「ワインの後ろに自分がいて、テロワール、ブドウ、気候を表現していきたい」 |
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「ワインの後ろに自分がいて、テロワール、ブドウ、気候を表現していきたい」 この事は私がフランスで学んだことです。アマのワインは私が造っている訳ですが、あくまでも私は「通訳者」のような存在で、ワインが出来上がる環境の後ろに自分がいて、テロワール、ブドウ、気候を表現していきたいと思っています。これが私マルコパランティのフィロソフィーです。 「魂」や「土地」を表現しているワインを見つけるのは難しい ワインを飲むという事は「旅行をしている事と同じ」 イタリアでは良く言うのですが、ワインを飲むという事は「旅行をしている事と同じ」と言えます。今日は「ボルドーに行こうか」、「それともバローロ、モンタルチーノ?」と。そういう土地の個性を楽しむ事が出来るのがワインだと思います。もしそうで無くなったらワインではなくコカコーラを飲んでいるようなものだと言えます。 「ワインを造る技術は良く知らなければならないが、良いワインを造る為には技術が勝ってはいけない」 Q.いつ頃から本格的にワイン生産を始めたのですか? ワイナリーに来た1982年から直ぐに造り始めました。やり始めた時の課題としては、ブドウの品質の特性を掴む事でした。特に斜面の上部と下部。特徴が全然違うブドウになるので、品質の均一性という意味では、難しかったですね。そこで区画毎に一番良いブドウを取ってきて、それをワインにすることから始めました。そうして「ベッラヴィスタ」や「カズッチャ」「サンロレンツォ」が産まれ、残ったものをキャンティクラシコとしてリリースしました。 1982~1990年の間には4つのクリュのワインを造りました。(1982年はベッラヴィスタとサンロレンツォのみ。1985年にカズッチャ、1988年にベラルデンガをリリース)その目的は極々限られたクリュを少量造る事ではなく、それぞれのワインが良いワインである事を確立させることをより大切に考えていました。この事でキャンティクラシコのレベルを上げる事に繋がりました。1990年以降には4つのクリュを2つに減らし、残りをキャンティクラシコに廻しましたので、更にキャンティクラシコのレベルが上がりました。1996年にはキャンティクラシコのレベルがその前に造っていたクリュワインのレベルと同等位にまで上げる事が出来ました。 Q.サンジョヴェーゼの収穫時期について教えてください。 私達の畑も温暖化の影響があり、9月末位に収穫します。1980年代には10月より前になる事はまずありませんでしたが。 14年間の歳月かけて造り上げた高い品質を誇る「カステッロディ アマ キャンティ クラシコ」 約20年で7回しかボトリングしていない2つクリュ「ベッラヴィスタ」「カズッチャ」 2010年から若い樹齢のブドウだけで造る「アマ」をリリースしました。植え替えをすることによって全体のワインを「アマ」と「カステッロ ディ アマ」の2つに分けました。樹齢の古いブドウを使った「カステッロディ アマ サンロレンツォ」は自分たちを代表するワインとなりました。また2010年は凄く重要な年でサンロレンツォがキャンティ クラシコ グランセレツィオーネとして初リリースした年でもあります。 Q.若い樹齢から造る「アマ」は毎年造っていますか? Q.1996年にカステッロ ディ アマ キャンティクラシコを造りましたが、それまではキャンティクラシコはありましたか? 1996年の前にキャンティクラシコ自体はありましたが、カステッロ ディ アマと名付けたキャンティクラシコはありませんでした。あくまでも4つのクリュが重要で1996年にカステッロディアマとして品質の高いキャンティクラシコが誕生しました。 |
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トスカーナ初のメルロー100%「ラッパリータ」をリリース |
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トスカーナ初のメルロー100%「ラッパリータ」をリリース 「ラッパリータ」は1985年にリリースしました。畑は3.5ヘクタール程の広さです。トスカーナでメルロー100%で造った初めてのワインとなります。その後1987年にマッセートがリリースされました。1982~1983年にかけて元々あった別のブドウ樹にメルローを接ぎ木しました。ポムロールでは無く、メドックのメルローのクローンを使いました。そもそもスーパートスカンを造ろうとは思っていなくて、サンジョヴェーゼと組み合わせてワインが造れたら良いなと思っていました。自分達の畑の特徴を見て、粘土質でボルドーと似通う所もありました。では何故カベルネソーヴィニヨンにしなかったかと言うと、当時アンティノリが多くの畑でカベルネソーヴィニヨンを突き進めていて、多くの場所にカベルネソーヴィニヨンがあったので私達はメルローを選択した経緯もあります。 リリース直後に『ワインスペクテーター』、『ワインアドヴォケイト』で高得点獲得 1980~1990年代のキャンティクラシコはイメージがあまり良くない不遇の時代がありました。その中でメルロー100%で造った「ラッパリータ」は、ある意味トスカーナサンジョヴェーゼではない「自由なワイン」として世界中から評価をもらいました。(当時キャンティクラシコは実際叩かれたりする事もありましたから) ブラインドテイスティングでペトリュスを抑えて第1位に |
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「ラッパリータ」が騒がれようが、私たちのオリジンはあくまでも「キャンティクラシコ」 |
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私たちのオリジンはあくまでも「キャンティクラシコ」 嬉しさもありましたが「これは少し困ったことになった」と思いました。何故ならアマはメルローの造り手ではなく、あくまでキャンティクラシコの造り手だからです。「メルローも大切な息子の一人だが、数千本しか造っていないし。正直困ったな」という感じです。 キャンティクラシコの生産者として「ベッラヴィスタ」、「カズッチャ」をラッパリータが受けたレベルまで上げなければならない いよいよマルコ パランティ氏と貴重な試飲が始まります! |
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■インタビューを終えて | ||||||||||
マルコ パランティ氏のお話は、非常に情熱的でシンプル、そして核心を突く深い内容でした。「一歩下がってテロワールを尊重し、纏め上げる役割を果たす事」「ラッパリータが騒がれようが、私達のオリジンはあくまでもキャンティクラシコ」と決してブレる事の無い土地、サンジョヴェーゼにかける強い情熱や想いを感じました。
試飲したアマ2015年は若木ながら、滑らかさ洗練されたシルキーなタンニンがあり、ベースラインながら圧倒的な完成度。サンロレンツォ2013年、ベッラヴィスタ2011年は1週間かけてじっくりと飲みましたが、緻密で美しいスタイルは崩れる事は無く、一般的なサンジョヴェーゼとは一線を画す舌を撫でるような「流麗さ」「高貴さ」に満ちています。ラッパリータ2013年は包み込むような美しさと精妙さがあり、惚れ惚れするような上品な艶を纏った偉大なメルロー。どのワインも思わずため息が出る程の美しさと優雅さに満ちていました。カステッロディアマは今から20年程前「なんて美味しいキャンティクラシコ!」と感激した思い出深いワイン。20年経った今も変わらず感動する味わい。やはりカステッロ ディ アマは常に偉大なワイナリーです。 |
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イタリアを代表する偉大なカンティーナ「カステッロ ディ アマ」
2018/06/11