2018年10月11日 バローネ リカーゾリ社 フランチェスコ リカーゾリ氏
創業1141年!現代のキャンティの基礎を築いたトスカーナの歴史的名門「バローネ リカーゾリ」突撃インタビュー |
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1141年から続くトスカーナの偉大な名門バローネリカーゾリ社。現当主で32代目にあたるフランチェスコ リカーゾリ男爵は、1000年以上もの間に代々築きあげ、そして第2次大戦後に一時期その名声を失ってしまったリカーゾリ家のワイナリーを見事に復活させた立役者です。
リカーゾリ家の過去の当主でその名を知らぬものがいないのが、イタリア王国で首相を務め、そして政界を引退した後にワイン研究に没頭し、キャンティのブレンド比率を確立させたベッティーノ リカーゾリ氏。その後、イタリア屈指の名門ワイナリーとして「イタリアのラフィット」と讃えられてきた黄金時代が終わり、その後の苦しい時代を経て、たゆまぬ努力によってようやく栄光を取り戻したフランチェスコ氏に、リカーゾリ家の歴史と現在のワイン造りについてお話をお聞きしました。 |
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公式な記録は1141年創業ながら、それを遡る歴史を持つ一族のリカーゾリ家 |
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リカーゾリの歴史を話すと1日以上かかります(笑)。リカーゾリはトスカーナで強力な貴族、つまり大名みたいなものですね。トスカーナの貴族というと、商売で成功したアンティノリ家がいますが、リカーゾリ家は商売ではなく、土地を多く所有している貴族でした。つまり農園に結び付いてきた貴族です。男爵になってから私で32代目ですが、紀元800年ごろから始まった一族です。もともとはモンテヴァルキ近くのアルノ渓谷出身の家族です。そこにはリカーゾリという名前の村があります。
1872年に確立したキャンティのレシピ~サンジョヴェーゼとカナイオーロ・・・そしてマルヴァジア~ ベッティーノリカーゾリが確立したキャンティのブレンド比率はサンジョヴェーゼとカナイオーロでした。彼が決めたブレンドの中に白ブドウのマルヴァジアが入っているというのが一般的な定説として伝わっていますが、実はこれは少し誤りがあります。ベッティーノが1872年9月23日にこのブレンド比率について書いた手紙が残っているのですが、そこには「良質のキャンティを造るにはサンジョヴェーゼを主体とし、カナイオーロを少し加えてサンジョヴェーゼのとがった部分をまろやかにする。それと、早飲み用のキャンティの場合は、マルヴァジアを入れても良い」と書かれています。つまり、白ブドウのマルヴァジアは必須ではない、ということです。 |
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20世紀前半のブローリオの名声時代。「イタリアのシャトーラフィット」と讃えられる。一度は手放したブローリオワイナリーを復活させたのが現当主フランチェスコリカーゾリ男爵 |
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1910年から1945年ごろまではブローリオの黄金時代でした。ブローリオ、というのはリカーゾリ家が所有する農園の名前です。偉大なワインを造っていたリカーゾリ家はイタリアの名門ワイナリーとしての地位を確立し、「イタリアのシャトーラフィット」と讃えられ、多くのワイナリーの手本となるような位置づけとなったのです。
しかし、その名声は、第2次世界大戦後に失われることになります。様々な問題が一族にふりかかり、財産を無くし借金を抱えてしまったリカーゾリ家は「ブローリオ」というブランドを売却しなければならなくなりました。国の政策などで土地をとられたわけではなく、投資に失敗したりして手放さざるを得なくなったんですね。さらに、ブローリオブランドを手に入れた会社も、戦後の時代の変化に対応できずじまいで、遂にはワイナリーもつぶれてしまったのです。僅か20年ほどの間に、これまで築き上げたものが失われてしまいました。 32代当主のフランチェスコリカーゾリ氏によるブローリオブランドの復権 1993年、36歳だった私はプロの写真家として働いていたのですが、ブローリオ農園とリカーゾリブランドを買い戻しました。地に落ちたブローリオブランドのワインをなんとかして立て直したい。そのためにブドウ栽培も、ワイン造りも0からスタートさせました。畑も全て新しく植え替えて整備をしていきました。醸造所も熟成庫も全て新しくしていきました。 現在のリカーゾリ家の所有地は1200ヘクタールほどです。昔は6000~8000ヘクタールあったと思います。そして所有地の中のキャンティクラシコエリアに240ヘクタールの畑をもっています。そのほとんどがブローリオ城の周辺に集まっています。これほどの大きさの畑を所有しているワイナリーは他にはありません。ほとんどはガイオーレ村です。現在、レンテンナーノや、ロッカ ディ モンテグラッシやカスタニョーリ、バディア ディ コルティブオーノなどになっている畑もその昔はブローリオの所有地でした。 今日、トスカーナのワイナリーについて話題になるときは必ずリカーゾリがその中心になります。高速道路からも離れていて不便な土地ではありますが、年間40000人がワイナリー見学の来られます。大学の研究対象になったりもしていますね。 |
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土壌の特徴を分析したクリュプロジェクトをスタート |
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土壌分析にも取り組みました。ひとくちにキャンティクラシコ地区といっても土壌タイプは様々で、標高も異なります。分析に3年を費やして、5つの土壌パターンを見つけました。
土壌研究の結果から、新しいワインや、使用する品種を変更したりしていきましたが、まだまだ完成形ではなく、それは現在も試行錯誤しながら進行しています。その研究は15年以上続いています。私達の中心はサンジョヴェーゼであり、サンジョヴェーゼの未来はキャンティクラシコ地区にこそあると考えています。サンジョヴェーゼはとてもエレガントな品種です。そのためにたくさんのやるべきことがあります。そのひとつがキャンティクラシコに村の呼称を入れることです。どの村名を選定するかなど課題がありますね。バローネリカーゾリはガイオーレ村にあり、29のワイナリーがこの取り組みに参加して討論を続けています。 コッレディラに続くクリュサンジョヴェーゼプロジェクトも進行中。伝統にのっとった複数の畑のブレンドで造るのが「カステッロ ディ ブローリオ」 コッレディラは土壌研究に基づくクリュプロジェクトによって誕生した新しいキャンティクラシコです。2007年が初ヴィンテージとなります。ラベルには1584年に描かれたリカーゾリ家の家系図の背景を使っています。ここにはリカーゾリ家の所有している畑がいかにたくさんあるかを表しています。 サンジョヴェーゼも土壌の違いでキャラクターが違ってきます。今、他の2つのエリアでクリュサンジョヴェーゼプロジェクトが始まっていて、来年以降、リリースする予定です。リカーゾリの畑は標高的には220~500メートルぐらいで、向きも様々です。大小様々な丘陵が、なだらかに続いている、そういうロケーションになります。土壌を調べていくと実に面白く、本当に場所によって特徴が違いますね。 イタリアワインというのは、様々な畑のブドウをブレンドして造るのが伝統です。だから、ブローリオの名前を冠したカステッロディブローリオは、「ブローリオの偉大なワインを造る」ということで様々な畑のブドウをブレンドしています。各畑ごとにワインを醸造するので、白ワインも含めると200ものワインを醸造することになります。 |
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クリュプロジェクトの結果、メルロー100%ワインとして生まれ変わった「カザルフェッロ」 |
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キャンティクラシコエリアは全部で70000ヘクタールほどの広さになりますが、そのうちブドウ畑は7200ヘクタール程度です。つまり10分の1しかブドウ畑ではないのです。これはピエモンテに比べて非常に割合が低いんですね。ブドウ畑以外は森林が大半です。そのため、ブドウ畑がシカやイノシシなどにあらされてしまうという被害も多く、それはいつも困っています。
白ブドウも様々な区画で栽培しています。シャルドネ、マルヴァジア、そしてルーサンヌ、ソーヴィニョン。北の方の区画ではリースリングも栽培しています。ガイオーレ村ではなく、カステルヌォーヴォ ベラルデンガ村にも畑があります。 カザルフェッロの畑はサンジョヴェーゼの古樹があり、そこからサンジョヴェーゼ100%のIGT(当時はテーブルワインカテゴリー)でリリースしました。1993年にメルローを植樹して、徐々にサンジョヴェーゼとブレンドしていったのです。樹齢も上がり、この畑のメルローの個性が際立ってきたこともあり、また、サンジョヴェーゼ主体のワインをいくつも造っても、ということから2007年にメルロー100%でリリースしました。通常、トスカーナだといい条件の畑にはサンジョヴェーゼを植えるのですが、このカザルフェッロはメルローにしました。 |
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1800年代から造ってきた長い歴史を誇る白トッリチェッラ |
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トッリチェッラは非常に長い歴史のあるワインです。私自身も、いつから造っているのかよくわかりませんが、間違いなく1800年代の始めから造っています。たぶんマルヴァジアと少量のトレッビアーノで造っていたと思います。昔は8~9年ほどワイナリーで寝かせてからリリースさせていました。そんな昔に熟成させた白ワインなんて他ではありえなかったと思います。
1981年ヴィンテージのトッリチェッラを最後に、私がブローリオを買い戻すまでの間はトッリチェッラは造られていません。1994年に再び造り始めましたが、ワインのタイプは違うものにしました。買い戻した畑にはシャルドネがあり、逆にマルヴァジアはほとんどありませんでした。だから樽熟成のシャルドネとして造りました。その後、少しずつソーヴィニョン ブランをブレンドさせ、フレッシュなタイプへと変わっていきました。
いずれにしてもトッリチェッラは私達にとって非常に大切なワインです。私達は赤ワインの造り手として知られていますし、キャンティクラシコエリアにこのような白ワインがあることなど誰も想像しませんが。 |
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■インタビューを終えて | ||||||||||
キャンティクラシコを代表する名門バローネリカーゾリの当主というフランチェスコリカーゾリ男爵はとても穏やかで気さくな方でした。もともとプロの写真家だったフランチェスコさんのインスタグラムには素晴らしい写真がたくさんアップされ、10000人以上のフォロワーがいるそうです。
そのフランチェスコさんが大変な労力を費やしたのは想像に難くありません。1993年に宮嶋さんがリカーゾリを訪問した時は畑も醸造所も荒れたひどい状態だったそうです。フランチェスコ氏はまず畑の整備から始めたそうですが、このおかげで高い品質のブドウを得るまでの年月が早くなったとのこと。先見の明が本当にある方なのだと改めて感じました。 昔よりもさらに名声を高めたバローネリカーゾリ。地位や名声に甘んじることなく、ダイナミックに変化を続けているのがリカーゾリの魅力です。これからも驚くようなワインを造り続けていくパワーにあふれたフランチェスコさんでした。 |
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創業1141年!現代のキャンティの基礎を築いたトスカーナの歴史的名門「バローネ リカーゾリ」突撃インタビュー
2018/10/23