2024/03/08
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宮嶋勲氏
ワインジャーナリスト宮嶋勲さんが語るイタリアワインとイタリアの魅力!
~一時代を築いた偉大な造り手たちとの運命の出会い~
ワインジャーナリスト宮嶋勲氏とイタリアワインの出会い
――今回は、現在イタリアで脚光を浴びるヴェルメンティーノ種を解説いただくために、宮嶋さんをお迎えしましたが、その前に宮嶋さんご自身について深掘りしたいと考えています。改めて自己紹介をお願いします。
端的に言えば、私は食べて飲んでるだけの人間です(笑)。1983年に学生としてイタリアに行き、1989年まで滞在していました。
――宮嶋さんは東京大学出身であるとお聞きしていますが、在学中からイタリアにいらっしゃったのですか?
いえ、イタリア映画が好きだったので映画史の研究家になろうと思い、大学卒業後にローマ大学へと進学しました。しかし、せっかく進学したはいいものの、学生運動の名残で大学は荒れていて暗い雰囲気だったんです。大学全体がカオスな状況で絶望していたところ、とある新聞社から声をかけていただいてローマで仕事をするようになりました。
ローマで初めて飲んだ日常に寄り添うイタリアワイン
当時イタリアワインはまだ日本にほとんど輸入されていない時代で、税金が非常に高くて飲む機会はめったにありませんでした。ましてや学生が飲めるものではなかったです。でも、現地で暮らしていれば当然飲むじゃないですか。ローマのトラットリアで初めて飲んだ現地のワインは、食事との相性が良く美味しかったですね。
大学の食堂にワインが置いてあった時は「えっ!?」と驚きましたよ(笑)。イタリアでは、ワインはアルコールというよりも「常にあるもの」という考え方なんですよね。現地の大衆レストランに行けば、「赤ワイン? 白ワイン?」「500ml? 250ml?」と聞かれ、ボトル入りのワインはありませんでした。「ワインリストをください」なんて言ったものなら怪異的な目で見られてしまいます(笑)。
ワインに惹かれ始め、エノテカを巡るように
もともと食が好きだったこともあり徐々にワインに興味を持ち始め、より良いワインを探すためにワインショップを巡るようになりました。当時『ガンベロロッソ』はまだ出版されておらず、唯一あったヴェロネッリの本を参考に、お店を巡っては飲んで勉強していました。
そして、いくつか回ったエノテカの一つに、すごい優しい女性が経営するお店があったんです。何回かワインを買ってたら「そんなにワインが好きなら、毎週木曜日の営業後にみんなでワイン会をしてるから来る?」と声をかけていただきました。そこで奇跡みたいなことが起きたんです。
1980年代、イタリアワインの一時代を築く豪華メンバーとの交流
そのワイン会では毎回テーマが設けられていて、エドワード スタインバーグ(『バルバレスコよ永遠に』の著者)を中心に、みんなで飲んで話し合うんです。1978年をテーマにした時は、ブルーノ ジャコーザのバルバレスコ サント ステファノ リゼルヴァ、ヴァレンティーニのモンテプルチアーノ ダブルッツォという素晴らしい選択をエドワードがしてくれました。彼からは当時珍しかったカリフォルニアワインも教わりました。
ワイン会のメンバーには、現在のアンティノリ社長兼醸造責任者のレンツォ コタレッラがいました。彼は当時、カステッロ デッラ サラの支配人で、毎週ウンブリアから来てくれていたんです。そして、当時学生だったルカ マローニや、その後カステッロ ディ アマのCEOになるロレンツァ サバスティ、当時写真家だったモンテヴェトラーノのシルヴィア インアパラート、『ガンベロロッソ』創設者の一人で編集長を長年務めたダニエル チェルニッリなど、情熱のある若いメンバーが参加していました。
ソーテルヌがテーマの日になると、ムッファート デッラ サラ(貴腐ワイン)を造ろうとしていたレンツォが「俺はこういうワインを造りたいんだ!」と語っていたり、それはもう青春でしたね。有名な漫画家が集まったトキワ荘みたいなイメージですよ。
夢を語りながら、後のイタリア最高峰キュヴェとなる偉大なワインを試飲
「まさにイタリアワインルネッサンスが起きていた現場だった」
――そのワイン会に通われたのはいつ頃ですか?
1985年から1989年です。まさにイタリアワインルネッサンスが起きていた現場だったんです。レンツォはシャルドネにグレケットを入れてチェルヴァロ デッラ サラ(1987年初リリースのイタリア最高峰白)を造り、フランスに影響を受けて貴腐ワインやピノ ネロにも挑戦し始めた時期です。
アマはメルロー(最上級キュヴェ「ラッパリータ」)を植え始め、アヴィニョネージは現在の「デジデリオ」になる前のメルローを造り始めていました。そのアヴィニョネージのメルローのサンプルを試飲させてもらいましたが、めちゃくちゃ良かったんですよ。
そうやって意欲に溢れる人たちがやってきて、市場に出す前のワインを試飲させてくれるんです。自分たち(のワイン)を知ってもらえる場が当時はないわけですからね。あのクリュッグ家も年に1回フランスから来て、1959年や1973年など昔のヴィンテージを試飲させてくれる夢のような空間でした。
近年有名になった生産者はイタリアワインが評価されるようになってから出てきた人たちじゃないですか。でも、当時私が出会った人たちはゼロの状態から現在の価値を生み出した人たちです。そういう意味ではすごいラッキーでしたね。こんな奇跡があるんだなと。
同じ時代を生きた偉大な生産者たちと心を通わせる
現在の生産者のトップ層に当時の話をすると同時代人といった感じで心を開いてくれます。レンツォなんて今や雲の上の人ですが、アンティノリを訪問すると「おお、イサオ!」と歓迎してくれます。つい先日、ボルゲリでアンジェロ ガヤとその息子ジョヴァンニと食事をした時も「ジョヴァンニ、イサオの話を聞いておけ。こういう時代があったんだよ」とアンジェロが話すんです。親から直接言われると反抗してしまいますが、第三者の私から言われると息子も聞き入ってくれます。
私は何もえらいわけではありません。私に何か功績があるとしたら、正しいタイミングで正しい場所にいただけです(笑)。臭くてタンニンが強いワインという時代から、世界のイタリアワインへと飛躍したその過程を彼らと一緒に共有できたことに心から感謝しています。
――通われたローマのエノテカは、まだあるんですか?
実は1991年頃に店を売ってしまったんです。経営していた女性は結婚して、もうワインビジネスはしていないそうです。当時のメンバーで集まっても肝心の彼女だけがいないんです。だから、今度みんなで同窓会をしようと話しています。何回か懐かしくなって店の前を通りましたけど、見る影もなくて胸が苦しくなりますね。
宮嶋氏が語るイタリアワインの魅力
あの本は2015年に出版されましたが、コロナが落ち着いた2023年あたりから急にまた手に取っていただけています。今までの日本人的な生き方に行き詰まりを感じている方が増えているのかもしれませんね。
本にも書きましたが、一生懸命頑張って仕事を完璧にこなしても疲労困憊で不幸な社会になってしまうなら、イタリア人のように気楽に生きて人生を謳歌したほうがいいのではないかと。イタリアの地下鉄に乗ってるおじさんを見てると、すごい暇そうだけど好奇心に満ちています。本の中では、そういった違う生き方を提示できているのだと思います。
イタリアの本来の姿は「カジュアルで気取らないセンスの良さ」
――そんなイタリアで造られるワインは疲労を吹っ飛ばしてくれそうですね。
それはあると思いますよ。ワインだけでなく食品も含めて全てに、造っている人の感性や国の特徴が反映されるものです。服装もそうです。私がイタリアに行った当時は、(フランスのブランドである)ディオールやジバンシィに勢いがありましたが、アルマーニなどのミラノ勢が追い越したのは、イタリアの本来の姿である「よりカジュアルで、気取らないセンスの良さ」を発揮できたからです。
ワインも一緒です。温暖な気候で育ったブドウで造られたワインは、私たちに寄り添い日常生活に癒しを与えてくれます。シャンパーニュは身が引き締まるような酸がある一方で、フランチャコルタは優しく包み込む酸と果実味があるじゃないですか。仰々しくせずとも楽しめるカジュアルでセンスのいいもの、それがイタリアワインです。
その街の雰囲気を想起させ、癒しを与えてくれるイタリアワイン
――イタリア人は「美しいか美しくないか」を判断基準としていますよね。
そうですね。直感なんです。そのフィーリングを持つ方にはイタリアワインは絶対に合うと思います。イタリアの産地はどこも世界遺産で、周辺の街について何時間でも語れるほど魅力的です。しかも、産地とワインが結びついています。リグーリアを例にとると、ジェノヴァ、ポルトフィーノ、ヴェルメンティーノ、コッリ ディ ルーニ、全てが同じ雰囲気を持っています。
特にヴェルメンティーノは、グラスの向こうに見える風景も伝えることができるワインの一つだと思います。一度でもトスカーナの海岸やポルトフィーノを経験した人はヴェルメンティーノをより一層好きになりますし、訪れたことのない人でも飲んだらなんとなくポルトフィーノにいる気分になってしまいます。
後で話が出ると思いますが、飲むと夏の雰囲気や地中海のイメージが映し出されるんです。これがヴェルメンティーノが持つ詩的喚起力なのです。週末はイタリアワインを飲んでバカンス気分で癒されて、また月曜日から頑張れる。そういった癒しを与えられるのも、イタリアワインの魅力だと思います。
次回の【宮嶋勲さんが語るヴェルメンティーノ】はこちらから!
インタビューを終えて
「正しいタイミングで正しい場所にいただけ」と謙遜されていましたが、当時不安定だったイタリアに赴き、熱量を持って突き進んでこられたからこそ今のお立場があるのだと思いました。インタビューを通してイタリア、イタリアワインの魅力について話は盛り上がりとても楽しいインタビューになりました。
この後にお聞きしたヴェルメンティーノについても、たくさんお話いただいていますので、ぜひそちらもご覧ください。