自然派ワインの先駆者「ヴィナイオータ」太田久人氏に聞く「ラ ビアンカーラ」の魅力 Part1

2018/02/16
突撃インタビュー
 
2018年2月13日 ヴィナイオータ 太田 久人氏

自然派ワインの先駆者「ヴィナイオータ」太田久人氏に聞く「ラ ビアンカーラ」の魅力 Part1

ヴィナイオータ太田久人氏と
ラ ビアンカーラ、マッサヴェッキア、フランクコーネッリッセン、ヴォドピーヴェッツ、カーゼコリーニらを始め綺羅星の自然派ワイン生産者を輸入するインポーター「ヴィナイオータ」さん。「自然派ワイン」というフレーズが無いに等しかった20年前から、情熱をもった造り手達を訪ね、ブドウ本来の豊かな味わいが詰まったナチュラルなワインを日本に紹介する先駆者的存在です。今回ヴィナイオータの太田 久人氏に自然派ワインの代表的銘柄「ラ ビアンカーラ」のワインを試飲しながら、イタリアワインとの出会い、自然派ワインについて、哲学やワインに対する熱い想いを聞きました。

Part1ではワインや生産者との出会い、会社設立のお話を聞きました。

ラ ビアンカーラを訪ねそれから視界が開けていく事に

太田氏01太田さんのワインとの出会いについてお聞かせください

「そこまで心を揺さぶられるようなワインが無く・・・」
ワイン飲み始めた当初は「良いワイン」=「その時代に評価されているワイン」だと思っていました。つまり有名なワインガイドブックで何らかの評価を受けているものとか。それが「良いワイン」ではないかと思っていたんですね。

その頃ローマに2年住んでいました。ローマは試飲会とかすごく多くて、ガイド本の高評価ワインを片っ端から飲む機会がある訳ですが、そのガイドブックで高評価をうけているワインを逆に飲み続けていく中で、「その全てに自分が心を打たれる訳ではない事実に気が付く訳です。そこまで心を揺さぶられるようなワインが無く・・・」そのあたりからでしょうか、「評価」と僕の「エモーション」との間に乖離がある事に気づき始めました。もしかしたら「僕はワインが好きではないんじゃないか」思うくらいまで考えました。

ラ ビアンカーラを訪ねそれからパーンと視界が開けていく事に
「世の中と僕の好みが違うのかもしれない」と思い始めたのです。まさにその頃にラ ビアンカーラの所に訪ねに行く事になるのですが(詳しくは後程)、それからパーンと視界が開けていく事になるのです。そこから「現在に至る」という感じですかね。

アンジョリーノ&太田氏「森に誰が肥料を撒くのか?」
本当に単純な言葉なんですがその時、生産者に「森に誰が肥料を撒くのか?」と言われたんです。「森は森であるのに別に肥料は必要ない」「私は森みたいなブドウ畑をやりたいんだ」と言われたんです。そこで事足る自己完結するような環境の中で、鳥や動物、昆虫、微生物のそれぞれがバランス良く暮らすような環境である事です。

もしかしたら平地の畑で化学肥料を撒いたり、水をあげたりしたら沢山身をつけるかもしれないブドウを、丘陵地で育てたら、やっぱりブドウの成りって少なくなってしまうんですね。

彼のようなやり方をすると、DOC法で定められた収量の10/1とまでは言いませんがそれに近しいくらいしかブドウが獲れないんですね。

「テロワール」ってそういう事なんだな
「その年に賜った(気候や環境)もので「森のような畑」を造る。その畑で賜ったものをワインに変える。それが自分のしたいワイン造りだ」と言われた時に、「テロワール」ってそういう事なんだなと思いました。

ようやく「テロワール」の言葉の意味みたいなもの、あとテロワールを活かす為の方法と言うのは、生産者の「理念」や「哲学」があった時にそのテロワールワインが実現するのかという事を彼の言葉から教えてもらいました。

ヴィナイオッティマーナワインが「ウケる」かとか、「高い」かどうかよりも「エモーションを感じたかどうか」
この機会が始まりで、それからは各々が住んでいるゾーンのそのような行為を愚直にやる人たちを探していったんです。だからワインが「ウケる」かとか、「高い」かどうかよりも僕自身が「エモーションを感じたかどうか」という事だけでやってきました。

商売としては考えようによっては「クレイジー」に見えるかも知れませんが、僕自身の味覚や嗅覚が特別優れているとは思っていないのです。つまり、僕が感動するものぐらいだったら、何人かは感動してくれるはずだろう。遅かれ早かれそういう人達の仲間は増えるだろうと思ってはいました。

それからはどんどん自分自身の好奇心を満たす為にイタリア各地のとがった造り手達に会いに行く旅が始まったんです。

20年前は「自然派」という言葉もほぼ無いような時代

日本に戻ってくるときには「インポーター」をやろうとは決めていたのですか?

太田氏0220年前、1万本のワインを購入しはじめたのが「ヴィナイオータ」
順序的には親が「もういい加減にしろ。何か始めろ」と(笑)。1万本のワインを購入しはじめたのがヴィナイオータです。それが20年前の事です。最初の5年間は父、母が手伝ってくれました。ヴィナイオータは発送の手続きまで自分たちでやるちょっと変わったインポーターなんで、僕が外に営業に行っている時は、父親が指1本でパソコンで伝票を打って、母親が出来た伝票でワインをピッキングして箱詰めするようなスタイルで最初の5年間やっていました。たまたまいろいろな事がハマった事と、父母の後ろ盾があったからこそ出来たことです。

最初は20フィートの1万本位入るコンテナに10生産者位のワインを詰めました。そのなかで今も取り扱っている造り手は2軒だけですかね。「ラ ビアンカーラ」、「パオロ ベア」は2コンテナ目から入りました。3、4コンテナ目からは今のラインナップが揃い始めてくる感じでしょうか。

なにせ、僕が始めた20年前には「自然派」という言葉もほぼ無いような時代だったので、今とラインナップも違います。自分自身が本当はどういうものが好きなのかまだ解らない時代から始まったんですね。ですが幸いにも2年目に「ラ ビアンカーラ」のような造り手に出会った事で、比較的早い段階で自分自身がハマっていけたことは僕にとってすごくラッキーな事だったのかも知れません。20年前に僕が残っている事を想像出来た人は誰もいなかったのでは無いでしょうか(笑)

ブドウ自然派ワインの人気が上がっていますね?

うーん。どう言えばいいのでしょうか・・・ナチュラルワインは流行であっては絶対いけない事だと思うんですね。(造り手の)生き方だし、人生哲学だし、人生をかけた戦いみたいなものひとつの形だと思うんです。

例えば農業も数千年(~一万年近く)の歴史がある訳ですけど、それがオーガニック以外であった歴史って、たった数十年くらいの話じゃないですか。つまり農業の歴史の中で「オーガニック」だなんて言う必要がなかった時代、つまりただのアグリカルチャー「農業」と呼んでいれば農薬のない農業を指していた訳じゃないですか。たった数十年の歴史でコロンと変わってしまった状況になっている訳ですよね。

僕にとっての「本物」
そういう意味では「何が変なのか」「何が本質的な意味で本物なのか」「本来のあるべきものなのか」今の現在において、色んな事が煩雑にある中で、多数決の論理でメジャーな物が普通とかスタンダードと思われています。僕からすると「本物」と言うのは多数決の論理で大多数の側に属すか属さないかにしても「本質的」「真っ当であること」「伝統的」であることをちゃんと組んでいる事が僕にとって「本物」だと思うんですね。

「ちょっと前の世代を見直すような時代なんじゃないか」
ワインに限らずなんですけど、器の世界でお友達の作家さんと話をするんですが、戦後高度経済成長期に器を大量生産しなければならない時代があったんじゃないかと。器そのものに魂とか温かみに欠けるものですが、値段を考えたらすごくコスパの良いものが大量に生産され、それに対して高級デパートでは箱書きされた「先生」と呼ばれる方が造る高級な器が売られている両極端だった時代があったと。今の現代では、無名でも良いから、先生と呼ばれなくても良いから、使って心がほっくりするような温かみのあるような器を造りたいというような作家さんが増えてきているのが今の現代に起こっている事だと。確かに小さな工芸家の方とかいっぱい出てきているじゃないですか。それっていうのは工業的な生産からちょっと前の世代を見直すようなフェイズというか、時代なんじゃないかって思うんですね。

「ワイン造りに人間が極端に干渉する必要がないのではないか」
それがワインの場合で言うと、「農業の在り方」を見つめたりとか、醸造の仕方とかに関しても、「人間が造りこむ事」がワイン造りなのか、それとも元々ブドウの中に込められている100%のインフォメーション、例えばブドウがどういう太陽を感じて過ごしてきたのか、どれくらいの雨の量を受けて、ブドウが膨らんだのか、実の中にその情報が詰まっているとするのならば、人間が極端に干渉する必要がないのではないかという考え方が見直されるようになってきたのが、今起こっている事だと思います。

モノが持つ本質的な部分を表出させるには、足すのでは「どこまで削げるのか」
色々なライフ スタイルの中で、色々な場面で見つめ直されてきているのが今現代に起こってきていると思います。そして宗教観の話ですが、元々僕たち日本人は多文化を受け入れるのが得意というか好きな人種で、あまり偏見がない事、何かを突き詰めていく事が好き、若干オタク気質を持ち合わせている事、もしかしたら「茶道」の理念が僕達のDNAに溶け込んでいるのか解らないのですが、足すのではなく「削ぐ」というコンセプト。モノが持つ本質的な部分を表出させるには、足すのでは「どこまで削げるのか」という考えが僕達日本人にはあっさり想像出来る気がするんですよ。私達が扱っているワインに根底に流れているコンセプトだと思うんですね。そうした僕たちの「気質」と合ったのかなとも思います。

先週流させて頂いた会社のメルマガにも書いた文章の中にもあるんですけど、「美味しさ」というのは「美味」と書きますが、ただワインにおける美味というのは「ヴィンテージの特徴、天候みたいなものが写し取られているか」「テロワールが写し取られているか」「ブドウの特徴が写し取られているか」この美しさが写し取られている事がワインにおける「美味しさ」だと思うんですね。(人間がクリエイトするものこそ「美味しさ」だと信じられていますけど。)

よくイタリア人と話すと「日本料理レストランに連れてってくれよ」と言われるじゃないですか。「それは何?」って思うじゃないですか?お寿司か天ぷらかウナギなのかって。なんで僕たちがそうやって一つ一つの料理を細分化するかって、性分だったり、必要だったからしていったわけじゃないですか。専門的になる事でより突き詰めたものを表現する為に必要だと思って細分化していった訳じゃないですか。日本における飲食の世界の在り方とか見てもマニアックな気質というものは垣間見えると思うんですね。

 

インタビューを終えて
太田氏の情熱的で物事の核心をついたお話に終始魅了されるインタビューとなりました。

お話の中で印象的だったのが、「僕自身の味覚や嗅覚が特別優れているとは思っていないのです。つまり、僕が感動するものぐらいだったら、何人かは感動してくれるはずだろう。遅かれ早かれそういう人達の仲間は増えるだろう」という言葉でした。

プロフェッショナルでありながら、飲み手の気持ちに寄り添ってくれる優しさだったり、おおらかさ。太田氏のブレない真っすぐな想いがじんわりと伝わる温かみのあるインタビューとなりました。

インタビューPart2では、太田氏と自然派ワイン代表銘柄「ラ ビアンカーラ」について試飲しながらお話を聞いていきます。

ラビアンカーラボトル
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